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東 浩紀 「一般意志2.0」(講談社) 4

 p117
 ルソーの『社会契約論』を現代の情報技術に照らして読み直すことで、わたしたちは一般意志2.0という新しい概念を手に入れた。それは具体的には、これからの政府は、市民の明示的で意識的な意志表示(選挙、公聴会、新聞の投書欄などなど)だけに頼らずに、ネットワーにばらまかれた無意識の欲望を積極的に掬い上げて、政策に活かすべきだということである。
 抽象的な議論ではない。たとえば公共事業の無駄を取り上げてみよう。高速道路であれダムであれ、それらが無駄として批判される背景にあるのは、現実と乖離した需要予測と事業の不透明な決定プロセスである。いまわたしたちに必要なのは、新しい決定プロセスを創出することであるはずだ。
 そこで、これからの自治体や政府は、住民の陳情や専門家の意見だけでなく、現実にだれがその高速道路やダムを求めているのか、実際にその場所をどれほどの人が通過し、匿名の利用者はどのような感想を抱いているのか、――スマートフォンの位置情報やETCの記録からネットの投稿されたつぶやきにいたるまで、あらゆる情報を集めて分析し、その分析方法まで公開するとしたら、どうだろうか。おそらく公共事業のあり方は劇的に変わるだろう。
 私たちが直面しているのは、国民の望みが政府に取り上げられないという単純な不満より、むしろ、国民の本当の望みが、もはや誰にも、おそらく国民自身にも分からないという深刻な事態である。ここ数代、日本の首相がたった一年で替わってしまうのは、自分の本当の望みが自分にすら分からないことの「大脳深部の不安感」が、 「とりあえず小石を投げつけてもいい無難な相手」 を見つけ出しているだけのことである。メディアも一緒になって。そのような状況において、ネットにあふれる無意識的欲望の総記録の分析は、自分で自分のしたいことが分からなくなっているわたしたちにとって、有力な選択肢になるはずである。
 p119
 現代社会において、ハナ・アーレント的な「公共圏」の理想は成立不可能と考えるべきである。市民すべてが公民としての自覚を持ち、熟議を重ね、政治の場に積極的に参加するという事態は想像すら難しい。だとすれば、いまや熟議の内容をある程度切り詰めたうえで、残った「熟議らしきもの」をどのように育てていくか、具体的な方法論を語ったほうがよいのではないか。
 あらためてルソー『社会契約論』を引けば、「市民が互いにいかなるコミュニケーションもとらなくても、小さな差異が数多く集まり、結果としてつねに善い一般意志が生み出され」るような国家。わたしたちはいまそのような国家像に行き着いている。
 p127
 ネットの政治的な利用の本当の可能性は、無数の市民がそこで活発な議論を交わし、合意形成にいたるという十九世紀的な理想にあるのではない。2チャンネル=「便所の落書き」と評されたように、ネットのうえでそんな合意が形成されるわけがない。むしろ、書き込む人々がそこに放り込んだ無数の文章について、発話者の意図から離れ集合論的な分析を可能にする「メタ内容的記憶保持」というデータベースの性格にこそ、その可能性があるのではなかろうか。
 たとえば、いまの日本のネットを舞台に、日韓の歴史認識問題について有意義な議論ができるとは思えない。その点ではネットは政治に適さない。しかしわたしたちは他方で、例えば「日韓」や「在日」といった言葉が、日本語圏のブログやソーシャルメディアではどのような言葉と一緒に現れる傾向が強いのかについて、そういった語彙を、個々の発言内容とは切り離して統計的に分析することができる。その分析結果は、おそらくは日韓関係の今後を考えるうえできわめて有益なデータになることだろう。その点では、ネットは政治に十分に役に立つ。少なくとも、右翼・左翼、国威主義・国際主義といったイデオロギーの「熟議」を重ねるよりは十分に役に立つ。
 p173
 いうまでもなくハナ・アーレントは、――自身ユダヤ人であり、二十世紀政治哲学書の最高峰のひとつであった『全体主義の起源』の著者であった彼女は――たとえば2チャンネル=「便所の落書き」などにあらわれる人間の情念の怖さを、知りすぎるほど知っていたにちがいない。だからこそ彼女は、大衆の情念や無意識の領域をあまりにも潔癖に、理知的に、政治から排除しようとしたのではないか。
 その動機は理解できる。しかし、政治の力の源泉を理知的なコミュニケーションのみに求めることには、やはり無理がある。十分な熟議を経て得られた合意も、人々の欲望に支えられなければ、結局は力を持たない。高邁な理念を掲げ、開かれた制度を設計したとしても、だれも参加を欲望しないのであれば政治は形骸化せざるをえない。実際、いまわたしたちの国を襲っている政治の困難は、結局はそのような「欲望の欠如」に集約されるのではなかろうか。