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E.M.フォースター 「ハワーズ・エンド」吉田健一訳(みすず書房)

 p32
 マント夫人はすぐに虚脱状態から回復した。彼女は過去に起こったことを歪める能力が非常に発達していた。だから、自分の粗忽が今度の事件で演じた役割のことも、きわめて短い期間に、すっかり忘れてしまえるのだった。
 p81
 マーガレットは、人生で起こり得ることに対して準備をするものは、そのために喜びを犠牲にすることになるかもしれないと感じていた。「マーガレットはそのときになってから考える人である」ということの別の言い方である。
 p122
 階級のあるイギリスでは、金のあるものの葬式は、教育があるものにとってのシェイクスピアのオフェリアの葬式と同じ役目を果たすものである。貧乏な人にとって金持ちの葬式は芸術なのであり、彼らの人生の事柄に価値を与える。金持ちから黒い服を配られた村の女たちの一群は、それゆえ金持ちの家族が帰った後も何人か集まって立ち話を続け、新たな墓のまわりを立ち去りがたいのである。
 p142
 吉田健一の書き言葉は、独特に美しい。関係詞がない日本語の不便さを逆手にとって、順接や並列の接続助詞を普通とは少しちがう仕方で使いながら、語り出しとは微妙にずれた方向に一文の結語を持っていく。たとえば、 「人間味がなく召使に嫌われるチャールズに対してさえも、マーガレットはほとんど好意に近い興味を感じた。誰に話せば出世できるかというようなことをチャールズは実によく知っていたので、人づき合いが悪いことがある代わりにそれだけの実際力があり、その土性骨というものをマーガレットは高く買っていた。それは手際のよさ、果断、従順などの美徳を養い、これは確かに第二義的な美徳であっても、文明はそれによって支えられていた」 などとは、役人や子供にはまず嫌われる文章作法である。
 p147
 マーガレットは「眼に見える世界に対する、眼に見えない世界の優位についてあまり考えてはいけないと思います。その優位は事実であっても、そんな風に考えるのは中世の遺風なのです」と妹に手紙で書いた。同じ英国人の血を分けた妹は「そんな問題について、物分りの悪い人のように考えるつもりは少しもない」と答えてきた。「この自分を見損なってはいけなくて、いま、すばらしい天気で従姉妹たちとそり滑りをして帰ってきたところです。人生が手に負えないものであるというのは浪漫主義的な見方じゃないかしら。」
 p260
 ウィルコックス氏も、やはり英国人として、魂がそんな風になっている人だった。彼は子供の頃から、自分の中に起こっていることなんかね、ということで片付ける人間に育った。外観は陽気でしっかりしていて、勇敢でもあったが、内部は混乱するままに任せられた。もしそれを支配するものがあったとすれば、それは彼の不完全な禁欲主義のせいだった。
 彼は肉体的な情熱というものは悪いものだということを心のどこかで信じ続け、熱情的にそうと信じられる場合だけに望ましいものとした。宗教が彼にそう信じることの根拠を提供し、日曜に彼ら世間体のいい人たちが聞かされる聖書の言葉に対しても、ウィルコックス氏はそういう無限のものを天国に上る思いで愛することができず、日曜に妻を愛するのをなんとなく恥ずかしいと感じることで自分を満足させるのだった。
 p352−6
 オックスフォード四年生のティビーは、英国上位中産階級の最良の一員になることを約束されたような居心地のいい下宿で、宇宙を、あるいはそのうちで彼が関心を持っている狭い部分を静観していた。外務省に入ろうとしていた彼はシナ語の文法の本をめくり始めたが、軽蔑の表情で眉を吊り上げているのは自分以外の人間というものに対してなのか、シナ語に対してなのか彼自身にもわからなかった。ロンドンの下宿で、ほとんど外出もせずに本ばかり読んでいた漱石の劣等感と怒りはどれほどのものだったろう。
 p389
 わたしたちは悲しい動物なのであって、大地からものを掠め取るのに一心になっていて、自分のうちに育ちつつあるものには無関心でいる。わたしたちは蒸気機関のように食べるのだが、自分の魂を消化することは面倒なのである。
 p466
 心理学者や医者に自分の心にある一切を打ち明けても、その心の秘密を語ったことにはならなくて、それはそういう人間は一切に黒白をつけたがるために、後に残るのはその黒白だけだからだった。
 p498(解説:池澤夏樹
 「国家を裏切るか友を裏切るかと迫られたときに、私は国家を裏切る勇気を持ちたいと思う。」・・・アングロサクソン世界のもったいぶった偽善を嗤い続けたE.M.フォースターの、世界でもっとも引用される名言のひとつである。