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ポール・ヴェーヌ 「“私たちの世界”がキリスト教になったとき」(岩波書店) 2

 p32‐3
 宗教性を、恐怖とか謎とか慰安など心理的な説明に還元してしまうのは、あまりに近視眼的である。宗教は無自覚的な心的狡知などではない。わたしたちは知らず知らずさまざまな慰めの信仰を自分のためにでっち上げるわけではない。
 p34
 初期キリスト教に出会った人々は、天地創造という歴史的・形而上的叙事詩をとおして、自分がどこから来て、どういう運命にあるのかを知った。当時の人々にとっては多大な光と影の効果をもたらすこの叙事詩がなかったら、霊魂の不滅などはただの迷信だった。この叙事詩がなかったら、世界を「理解」する際のなんらの直観ももたらされはしなかった。宗教者にとってもっとも大切な直観は、神とともにあることによってのみ「世界」が自分とともにあるということである。
 p36
 ある神的な存在に対していだく特別な愛は、みずからの心のうちに「すっかりできあがった」ものとして見出すその愛は、文字として記述することがとても難しい。初期キリスト教文献は、改宗した人々の感情については沈黙したままである。
 p45
 キリスト教会の比類のない独自性はどこに由来するのか。キリスト教史の大問題の一つである。「選ばれたユダヤ」という民族的な独占権を、一つの国際的な「党」が奪い取ったのだ。信者の信仰、精神生活、道徳、形而上学はすべてペテロ創設の教会の権威の下に置かれる。教会文献の中では慈悲、福音、キリストの人間性よりも、服従貞節のほうがはるかに頻繁に話題になっている。
 p53−58
 異教は、先立つ六、七世紀のあいだに危機に陥っていた。作り話や愚行が多すぎ、経験で教養ある異教徒は何を信じていいか分からなくなっていた。
 だから、誠実で無私なコンスタンティヌスの改心は、個人の信仰、信念の問題だった。ただ社会学者の偏見のみが、皇帝は新しい宗教のうちに「帝国の統一性と安定性の形而上的な土台」を見つけようとしていた、などと人に信じさせようとする。
 大政治家である彼が、大多数の臣下と支配階級とは別の神を崇拝することが、人心掌握の最良の手段でないことぐらい知らなかったはずもない。譬えは突飛だが、レーニンやトロツキーは一九一七年十月、自分たちは不正かつ不条理な世界の相貌を一変させるべく召されていると信じた。同じように、コンスタンティヌスは自分こそ、異教の神々の神秘を打破し、「キリスト党」の地上支配を確立する担い手だとみなしたのである。
 p71
 信心と理性には多分なんらかの関係があるだろうが、その関係は部分的なものでしかない。アブラハムムハンマドは「知る」ことなく「信じ」ていた。レーニンは「知って」いると「信じ」ていた。
 p73
 現代の政府も、住民の大半に好まれている伝統アカデミズムよりも前衛芸術を支持するほうがずっと格好がよい。当時、異教は多数派であったが古めかしかったのに対して、キリスト教は前衛的だった。だからそれは皇帝の玉座を一段と高める効果を発揮し、異教の神のごときコンスタンティヌスの豪奢にいっそうの輝きを添える働きをした。
 p76
 彼が自分の征服を成しとげるには、いささかも教会を必要としていなかった。みずからキリスト教徒にならなくても、帝国の統一は果たしていたにちがいない。コンスタンティヌスは、決して無私無欲ではなかったとはいえ、皇帝として誠実な理想主義者とはみなされていい。しかし少なくともそこに狡猾さしか見ない歴史家は、コンスタンティヌス身辺の深い事態を見きわめられないだろう。
 p79
 異教の神々も一人の王位志願者を権力に近づけてやることがある。だがその神々はつねに「その場その場」で、不規則にそうしていた。だからこそ志願者の成功は神慮のように思われた。これに対してキリスト教の神意は恒常的に働くのであり、神はみずからの栄光のためにこの世の秩序を保証する。