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ポール・ヴェーヌ 「“私たちの世界”がキリスト教になったとき」 (岩波書店) 3

 p126
 コンスタンティヌスの没後二、三世紀して、ローマ帝国住民の十パーセントだった宗教が万民の慣習宗教になったのは、異教徒迫害によるものでも布教によるものでもない。「公認の宗教権威」 という万人の心を平安に導くものへの順応主義――「みんなと同じようにする」という健気な義務――によるのであるのは明らかである。かつて一千年以上にわたって異教の神々に求めていた繁栄、治癒、旅の安全を、ユダヤ出自のヤアヴェ神に熱心に祈るようになるなど、民衆は与えられたキリスト教を自分たち風にあっさり異教化して慣習化した。
 p140
 キリスト教徒の反ユダヤ主義の理由は、社会的ゲーム理論で言う、相手をはっきり理解できないときの「嫌悪感」に求めるべきである。有色人種、異教徒などは、彼らが何ものであるかを理解できる存在である。しかしユダヤ人は、神も聖書も同じであるのにキリスト教徒ではなく、異教徒でもない。しかも非常に閉鎖的で、その人の出自を厳格に求める。非ユダヤ人がユダヤ教に改宗するのは(今日でも)ほぼ不可能である。
 p143
 キリスト教が慣習宗教となる前の聖者、誠実なアウグスティヌスも、アウグスティヌスのような信心を持つ男だったコンスタンティヌスも、世界宗教のちょうど空白期、神が世界を留守にする時期に生きる幸運に恵まれた。
 ギリシア・ローマの神々の素行が怪しいことは民衆も分かりはじめていた。仏教はとうに衰退をはじめ、ユダヤ教は開放性に欠け、プロティノス神秘主義は高級すぎた。イスラムの到来にはまだ間があった。
 p146
 キリスト教徒は愛国主義、忠誠心によって皇帝を尊んできた。異教徒たちも同様であったし、これまで誰も常にそのようにしてきた。キリスト教徒たちは自分たちの宗教の唯一の神を崇拝させてくれるからという理由で、皇帝を尊んでいたわけではなかったのである。三世紀にわたって皇帝たちは多神教に満足していたが、彼らの君主制の正当性は皇帝が何を信じているかによって決められるものではなかった。
 p148
 王への愛、愛国主義服従の心などは宗教から生まれるものではない。ましてイデオロギーによって教え込まれるものでもない。それとは逆に、既成秩序に対する服従と、それに並存する自由への渇望からイデオロギーがもたらされるのである。家族や社会が暗黙のうちに服従や依存を教えないとき、学校での公民教育は悲劇的に無効である。
 p151
 権力の聖化は支配者と被支配者のあいだの関係を強化し「信じ込ませる」決定的な方策ではない。王は過重な収奪などを行えば、よきキリスト教徒である民は民で自分たちの神に訴えて反乱を起こすからである。
 p153
 イデオロギーという概念は、主知主義的な幻想に基づいている。人びとの態度決定は告げられたメッセージの内容そのものから来ると信じさせるからである。私たちの行動は私たちの表象の結果であり、ひとは熟考し、決断して行動するのだと信じているのである。
 しかし、ベンジャミン・リベットが一九八〇年代に行った有名な神経生理学実験は、人の行為は決断があってから遂行されるという、デカルト以来の「理性的自己」の像をあっさり否定した。
 リベットが行ったのは、被験者に「好きなときに手首を動かしてもらう」というだけのシンプルな実験である。いつ手首を動かすかは被験者が「自由」に決められる。だからわれわれの常識は、まず手首を動かそうという「決断」が生まれ、次に手首を動かすための信号が関係器官に送られ、少ししてから最終的に手首が動くと考える。
 しかし実験では、まず手首を動かす指令が「無意識下」に生じてからしばらく後に「決断」が生まれ、そのまた少し経ってから手首が動くという、常識にまったく反する結果になった。
 具体的に言うと、われわれが「自由に」手首を持ち上げるとき、実際には、運動を起こす神経過程と、「動かそう」という決断を生成する心理過程が、同時に作動し始める。ところが、行為と決断を生み出す無意識信号が脳内で発生してから、運動がおきるまでには500ミリ秒かかるのにたいして、決断が生まれるまでは300ミリ秒しかかからない。この200ミリ秒の差があるため、決断が行為を引き起こすのだという錯覚がうまれてしまう。実際は決断の300ミリ秒前、運動の500ミリ秒前に無意識の行為遂行指令が出ているのである。
 しかもこの、行為遂行の脳内信号が決断に先行する構図は発話を含む人間の<すべての>行為に共通である。だからこそベンジャミン・リベットの実験は哲学と心理学の世界に激しい衝撃をあたえた。

 p154
 古代の異教にあっては神々はいたるところにあり、権力と神々は賛美と助力を交換し合っていた。コンスタンティヌス以降、神々と権力のこうした総花的・翼賛的な関係が終わり、理論化された。その結果、神とカエサルはそれぞれ別の側で行動し始め、神は天上の地位を利用してカエサルにのしかかり始めた。しかしカエサルにとっても権力の装飾は必要だったから、彼はできるかぎり神の崇拝を広めた。そしてその一方で、神にしか属さないものをきっちり神に返し、神が装飾に過ぎないことを世界に知らしめた。やるべきことはやったのである。
 「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」というのは、政教分離を自分たちのおかげだとうぬぼれるキリスト教徒の常套句にすぎない。