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岩井克人 「二十一世紀の資本主義論」(ちくま学芸文庫) 1

 岩井克人はとても文章の上手な経済学者である。東大での講義は学生に人気があり、専門のマクロ経済学にとどまることなく文明論全体にわたるものだったという。井原西鶴の『世間胸算用』を貨幣論から分析した『西鶴の大晦日』というエッセイがあるが、その読み込みは非常に鋭い。もともとは、西鶴の経済直感が鋭いのだが、並みの文学批評家では到底岩井氏のような迫り方はできないだろう。その文章のリズムの良さと章句の区切り方のあざやかさは、論文ばかりを書いている学者の「余技」を感じさせない。これだけの書き手は、作家以外では分子生物学・生理学の福岡伸一だけではなかろうか。
 p15
 社会主義が崩壊し、世界はすでにアダム・スミスのものなのに、その自由放任市場の「見えざる手」はなぜ有効に働いてくれないのだろうか。
 一九九五年ごろ、アジア、ロシア、ブラジルを襲った金融危機のときは、「見えざる手」自体が無力なのではなく、「見えざる手」を束縛する「身内資本主義」や政府介入による外国為替市場のゆがみが原因であるといわれた。しかし九八年の大手ヘッジファンドLTCM(ロングターム・キャピタル・マネジメント)の破綻によってこれらの主張は沈黙してしまった。
 LTCMにはウォール街で大成功した債権トレーダーを中心に、FRBの元副議長と二人のノーベル賞経済学者が参加していたが、その「ドリームチーム」会社は顧客から集めた資金の五十倍もの資金を金融機関から借り入れ、大々的に空売り投機をしていたのである。このときを境に、金融危機の最大の要因はヘッジファンド投資銀行などの投機活動の行き過ぎであるとみられはじめた。そして一種の安心感が関係者に広がった。「見えざる手」をかき乱す真犯人として、「投機家」を名指しできたからだ。
 p20
 しかし話はそれほど単純ではない。投機とは市場経済にとって最も本質的な活動だからである。モノの生産も消費も必然的に投機の要素をはらんでいる。市場経済の中ではモノの売買自体が将来に向けての投機そのものである。投機家とは生産者や消費者に対立する異質な人種ではない。真の悪人はまさにわれわれ自身なのだ。