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辻原 登 「闇の奥」(文芸春秋)

 伝説の小人族という、現生人類の進化上で切り離されかけたネアンデルタール系の人々を、ボルネオから雲南チベットという闇の奥深くに探しまわる冒険譚である。辻原は、人の闇のいちばんディープなところに入っていって、そこを「新石器人の謎」ではなくエンタテインメントにしてしまう。世間の愛とか恋とか金の話などは一切出てこないのが気持いい。
 小人族には最近まで首狩りの習わしがあったといい、その意味ではp186小人は1Q84のドウタ(もうひとつの月)に関わる邪悪なリトルピープルに似ている。作品全体の「信じればほんとうになる隅から隅まで嘘の世界」というのも共通である。プロットに破綻がなく、大小の伏線の押さえ方も完全である。途中の一行にほんの少し奇異な点が出てくると、読者は「これは何十ページか後できちんと落ちがつくのだろう」と安心しながら読むことができる。
 コンラッドに同名の小説がある。こちらはアフリカ奥地の黒人にただただ恐怖してしまったヨーロッパ人の醜さを、作者がソフィスティケートも忘れて書いてしまったもの。自分たちが進化の頂点にあると信じて疑わなかった十九世紀ヨーロッパ人の驚愕がストレートに出ていて、その意味でだけ興味をもてたが、文学作品としては一顧の値打ちも無いものだった。同じような秘境の驚異を扱っても、作者の力量でここまで違うのかと思ういい例である。
 ただし、書きとめておきたい「泣かせる台詞」が作中に頻出するタイプの作家ではない。一行で読ませる人ではなく、ストーリーで引っ張る人である。だから、詩人ではない。ただ、ダラダラと読ませはしない。

 p18
 むかし、われわれに時間の観念はなかった。あるとき、怖れにとらえられた。これが未来の観念となる。それより一瞬遅れて、なつかしさにとらえられた。これが過去の観念になった。こうして時間の観念が生まれ、われわれは歴史を持つことになる。
 怖れは前方にあるものだから、人間を駆り立てることができる。かくして原罪が置かれ、人間を楽園から追放された存在とみなした。
 p25
 偶然は宿命の通俗化された形態・顕われである、と言ったのは古代ギリシャの誰だったろうか。
 p106
 エスキモーに熱さの感覚を教えることはできる。火があるからだ。だがボルネオのミリアン・ムルットの少女に雪の感覚を教えることは絶望的だ。彼女は日本に帰りたい男の冷たい心を学ぶことことはできなかった。
 p172
 チベット人五体投地による聖地巡礼を生涯に三回行う。自分のために一回、父親のために一回、母親のために一回。投地したあと歩くのは自分の身長に腕の長さを足した分だけ。泥の上でも岩のガレ場でも、汚物があっても五体投地をやめない。そのようにして聖なる山ミニヤ・コンカを巡る。
 有名なオーストリア生まれ米国人の探険家ジョゼフ・ロックもミニヤ・コンカに行っているが、そのとき彼は百人の武装従者を引き連れていたそうである。これほどに私たちと彼らは世界の捉え方が異なっている。