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金原ひとみ 「トリップトラップ」(角川書店)

 辻原 登が毎日新聞「二○一○年の三冊」に挙げていた短篇集。作者のデビュー作で芥川賞受賞作でもある「蛇にピアス」もそうらしいが、病的な男性依存症があっけらかんと書かれていて、読み始めたときは、いまどき冗談かアイロニーなんだろうと思った。
 女性に生まれてしまった自分というものの成り立ちを、なんら衒うことなくサラサラと書いた「私小説」なのか。肉体的・社会経済的に弱い「私」は、「強いものに依存して何が悪い!」と開き直るのではない。そんなことをすれば「だから女はいつまでたっても・・・」と男をつけあがらせるだけである。現代を十分に生きている「私」は、自分を男に庇護させるためには、圧倒的に有利な「性」を利用することに躊躇したりしない。昔風の「貞操」倫理」などは 「そんなものは何かを守るための“制度”でしょ」 と全くつれない。「私」はそういうことを「考える」大脳灰白質を欠いた人間なのではと思うほどの無邪気ぶりである。作者の、意識の最下部を語る力は相当のものだと感じた。

 女の過程
 p26
 同じ可愛いでも、男が言う可愛いとユイさんの言う可愛いは全然違って、ユイさんは私が可愛いという言葉を単純に可愛いという意味に受け取らないと知りながらそう言ったのだろう。そこに籠められた侮蔑や嘲りを私が感じ取ることを知りながら、そう言ったのだろう。
 p48
 私は自分が女であるゆえに、人とまっとうな関係を築けない。
 p49
 女っていうのは何で一番に感情で二番に言葉で三番に理性なのだろうと、私は自分の悪癖をまた性に転嫁する。
 憂鬱のパリ
 p114
 彼の隣にいれば、私は外敵から身を守ってもらえるし、何もしないでも誰にも怒られず、重要な判断を自分で下さないまま、この先の道筋を彼に示してもらえる。それの何が悪いのだろう。最近彼がよく自立を促すけれど、私は絶対にいつまでも拒否し続ける。
 p156
 涙が出そうになって、口をへの字にすると彼がぎょっとした顔で私を見た。
「なに、何でぎょっとしたの今」
「何か、泣くみたいだったから」
「何で、私がなくとぎょっとするの?」
「俺は泣く女が嫌いなんだよ」
彼はそう言って目を逸らした。冷たい彼に、私は何度も傷つけられてきたし、これからも何度も傷つけられていくだろうけれど、わたしたちは永遠に一緒にいるだろう。
 夏旅
 p258
 疲労やストレスもあるけれど、それはマッサージやベビーシッターを雇うことで、つまりお金で解決できる問題だ。つまり今私には、祈るべきことなどないのだ。こんなにも満たされない思いを抱え、蒸発するように日帰り旅行に出たにも拘らず、私には特に祈ることも願うこともないのだ。そう思った瞬間、(外敵から守ってくれる彼とともに暮らす)私を絶望と強烈な安堵がいっしょに襲った。