アクセス数:アクセスカウンター

國分功一郎 「暇と退屈の倫理学」3/7(朝日出版社)

 定住生活と退屈の関係
 p79
 一万年前に中緯度帯で定住生活が始まるまで、人類はそのほとんどの時間を遊動生活によって過ごしてきた。だが氷河期が終わった一万年前になると、温暖化が進み、中緯度帯が森林化して、遊動生活の中心になる狩猟が困難になった。
 狩猟が難しくなると、温帯の植物性食料か魚類に依存せざるをえない。しかし熱帯雨林と異なり、植物性食料の収穫は季節で大きく変動し、魚類も冬には獲れる量が少なくなる。したがってこの地域で生活を続けるためには、貯蔵が必須の条件となる。そして貯蔵は移動を妨げ、定住を余儀なくさせる。
 p80
 定住化の過程は人類にまったく新しい課題を突きつけたことだろう。人類の社会的能力や行動様式は、どれも遊動生活にあわせて進化してきたものだからである。定住化は、それまで進化してきた能力や行動様式のすべてを新たに編成し直した革命的なできごとであったに違いない。
 その証拠に、定住化以後の一万年のあいだには、それまでの数百万年とは比べものにならない大きなできごとが、数え切れぬほど起こっている。農耕や牧畜の出現、人口の急速な増大、国家や文明の発生、産業革命から情報通信革命等々は、人類史の物差しで計ればすべて異常なほど最近の事件である。
 p81
 いま文明国の多くがゴミ問題について悩まされている。国家は、ゴミの分別をしきりに市民に教育している。だがうまくいかない。
 これはある意味で当然のことである。ゴミというのは、人が意識の外に捨てたものだ。もはや考えないようにしてしまったもの、それがゴミである。ゴミの分別とは、そうして意識の外に捨てたものを、ふたたび意識化することにほかならない。このことを市民に教育するのは簡単ではないだろう。遊動生活のときには、数百万年にわたって、食べたら食べかすを放り投げておけばよかったのだから。
 p84
 遊動民が死体をもって移動することは不可能である。だから人が死んだら死体はそこに置いておかれる。
 だが定住民にはそうはいかない。だから、特別の仕方で、死体を置いておく場所を作らなければならない。それが墓場だ。
 こちらに生きている者の場所があり、あちらに死んだ者の場所がある。定住は、生者と死者のすみわけを求める。
 すると、死者に対する意識も変化するだろう。「親しかったあいつの動かない体があそこにある。でもあいつはどこに行ってしまったのだろう・・・」 遺体の場所を定めることは、死者だけでなく、死への思いも強めたはずである。それはやがて霊や霊界といった観念の発生につながっただろう。
 p87
 定住によって人間は、退屈を回避する必要に迫られるようになった。どういうことだろうか?
 遊動生活では移動のたびに新しい環境に対応せねばならない。五感を研ぎ澄ませ、水や食料のありか、薪はどこで取れるか、危険な獣はいないか・・・、こうした適応努力のあいだに、人の探索能力は活性化され、十分に働くことができる。新鮮な感覚によって集められた情報は、巨大な脳の無数の神経細胞を激しく駆け巡ったにちがいない。
 だが、定住者がいつも見る変わらぬ風景は、感覚を刺激する力を次第に失っていく。だから行き場をなくした自分の探索能力を集中させ、脳に適度な負荷をもたらす別の場面を求めなければならない。
 こう考えると、定住以後の人間が、たとえば非常に複雑な装飾をほどこした縄文人の土器のように、なぜあれほどまでに高度な工芸技術や政治経済システム、宗教体系や芸能などを発展させてきたのかも、合点が行く。
 物理的な空間を移動しない定住民は、自分たちの心理的な空間を拡大し、複雑化し、そのなかを「移動」することで、持てる能力を「適度に」働かせる。自分の能力が行き場をなくすことは「退屈」に陥ることなので、この退屈を「適度に」回避する場面を用意しなければならない。それは定住生活を維持する重要な条件であるとともに、また、その後の人類史の異質な展開をもたらす原動力として働くことになった。いわゆる文明の発生である。
 p90
 定住化以後、(貝塚のように)ゴミはゴミ捨て場に捨てる習慣が長い時間を掛けて生まれたように、退屈を回避するという定住革命が成し遂げられなければならない。しかし当然ながら、トイレやゴミにかかわる定住革命が困難であるように、退屈にかかわる定住革命も困難である。それを成し遂げられない人がたくさんいることは、膨大になった人口を考えれば、少しも不思議ではない。