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國分功一郎 「暇と退屈の倫理学」5/7(朝日出版社)

 動物と人間の「環世界」
 p260-2
 すべての生物はそれぞれの「環世界」を生きている。環世界とはその生物種にとっては必要かつ十分な要素が備わった、その生物種だけの宇宙のことである。たとえばダニの環世界は、自分が寄生する哺乳動物の酪酸のにおい、摂氏三七度の温度、体毛の少ない皮膚組織 のわずか三つのシグナルだけで成り立っている。それ以外のものはダニにとって存在していない。
 ドイツ・ロストックの動物学研究所には、一八年間も絶食して三つのシグナルが揃うのを「待っている」ダニが、生きたまま保存されているという。そんなに長いあいだ、三つのシグナルが揃うのをひたすら待つことは、人間には驚きである。しかしダニの環世界が三つのシグナルだけで成り立っているのなら、ダニにとってはなんということもないのではないか。
 p268
 私たちが、「ダニは一八年間も絶食して待つ」事実に驚くのは、ダニも人間と同じ時間を生きていると前提してしまっているからだ。「環世界」の概念を発見したエストニア出身の理論生物学者ユクスキュルは、ダニはその待機時間中、一種の冬眠状態にあると推測している。それは何年も続く。そして哺乳動物の酪酸のシグナルがくるや否や、その冬眠は解除され、三七度の動物体目指して木の枝から落下し、すがりついた皮膚の中でも体毛の少ない部分に、まっしぐらに進むのである。
 これまでは、時間は客観的に固定されたものであるとされてきた。固定された時間なしに生きている主体はありえないと言われてきた。しかしそうなのではない。ダニも、カタツムリも、犬も、そして人間も、その独自の時間を持っている。いまや「それぞれの生物種ごとの時間」以外に、「時間」はありえないと言わねばならない。
 p279
 星空をみて、素人は「ああ、なんときれいだ」と感激する。その横で、天文学者は「あの星までは何百万光年だろうか?」と考えている。二人は星空に関してはまったく異なる環世界を生きているのである。石ころに対する素人と鉱物学者、クラシック音楽を聞いているときの素人夫婦と音楽家夫婦・・・、いくらでも例はあるだろうが、彼らもまたその時は別々の環世界に住んでいるのだ。