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東 浩紀 「動物化するポストモダン」2/5(講談社)

 p28
 ポストモダンとは、文字通り、「近代の後に来るものを意味する。しかし日本は、明治以降も(近代哲学的な意味では)十分に近代化されていない。それはいままで(近代哲学的な意味では)欠点とされてきた。
 しかし世界史の段階が近代からポストモダンへと移行しつつある現在、むしろ利点に変わりつつある、と考える思想家たちもいる。彼らによれば、「十分に近代化されていないこの国は、逆にもっとも容易にポストモダン社会に移行できる。たとえば日本では近代的な人間観が十分に浸透していないがゆえに、逆にポストモダン社会での主体の崩壊にも、抵抗感なく適応することができる。そのようにして二一世紀の日本は、高い科学技術と爛熟した消費社会を享受できる最先端の国へと変貌を遂げるだろう・・・。」
 p30
 日本のオタク系文化の伸張には、こうした一部のポストモダニストと同じ思潮がはたらいている。 「近代的な人間観が十分に浸透していないがゆえに、逆にポストモダン社会での主体の崩壊にも抵抗感なく適応することができる」 とする自己弁護の哲学は、江戸時代の「粋」と直結しているという自分たちの文化の起源が、じつはアメリカ産サブカルチャーの偽物であったことを忘れさせてくれるからだ。
 p35
 オタクたちの幻想の営まれる場所が、江戸時代の町人文化に擬した一種のテーマパークのように描かれていることに注目したい。日本の江戸時代はしばしば、歴史の歩みが止まり、自閉的なスノビズムを発達させた時代と考えられてきた。そして高度経済成長直後の日本は、「昭和元禄」という表現があるように、自分たちの時代を好んで江戸時代になぞらえていた。ポストモダニストたちの江戸論は、八○年代に幾度もメディアを賑わせている。
 この理由は理解しやすい。日本の文化的伝統は、明治維新と第二次大戦で二度断ち切られている。加えて戦後には、明治維新から第二次大戦までの社会体制記憶について、(敗戦国として)政治的に大きな抑圧を受けた。
 だから、八○年代、高度経済成長期のナルシスティックな日本が、敗戦の屈辱を忘れアメリカの抑圧的な影響を忘れようとするならば、江戸時代のイメージにまで戻るのがもっともたやすい。江戸時代がじつはポストモダンを先取りしていたというような議論が頻出する背景には、そのような集団心理が存在する。
 データベース的動物
 p44-5
 ポストモダン社会は、単一の大きな社会的規範が有効性を失い、無数に林立する小さな規範に取って代わられる社会である。いわゆる「大きな物語が凋落」してしまった社会である。
 一八世紀から二○世紀半ばまで、近代国家では、国民を一つにまとめ上げるためのさまざまなシステムが整備され、社会が運営されてきた。そのシステムはたとえば、思想的には大哲学者や大作家によって表現された人間性や理性の理念として、政治的にはマルクス・レーニンや毛沢東革命のイデオロギーとして、経済的には大企業により系列化された生産の優位として現われてきた。「大きな物語」とはそれらシステムの総称である。六○年代〜七○年代の全共闘学生運動は、この「大きな物語」の虚構を暴露することに、全部の力を費した。
 近代は大きな物語で支配された時代だった。それに対してポストモダンでは、大きな物語はあちこちで機能不全をおこし、社会全体のまとまりが急速に弱体化する。オタクたちが出現したのは、そのような、「政治の季節」が終わり、石油ショック連合赤軍事件を経た七○年代である。
 社会学者の大澤真幸によれば、オタクたちは、身の回りにある経験的世界と、それらを超えた超越的世界を区別できにくいという。この区別ができないために、オタクたちは、サブカルチャーを題材とした擬似宗教にたやすく引っ掛かってしまう。そのような失調は、かつての近代社会では個人の未成熟として切り捨てることができただろうが、ポストモダン社会ではそう簡単にはいかない。というのも、私たちが生きているこの社会そのものが、いまや大きな物語の失調によって特徴づけられているからだ。
 p55
 現実の大きな物語の失調は、ときとして、大きな「虚構の物語」によって代替されることがある。そのもっとも華々しい例が、サブカルチャーの想像力で教義を固め、最終的にテロにまで行き着いてしまったオウム真理教である。七○年代の連合赤軍と九○年代のオウム真理教の違いは、前者が共産主義という社会的に認知された大きな物語を信じたのに対し、後者がオウム真理教という認知されにくい物語を信じていたこと、それだけにすぎない。