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夏目漱石 「硝子戸の中」(岩波文庫)

 p18
 「秋風の聞えぬ土地に埋めてやりぬ」 漱石の飼っていた犬・ヘクトーの墓碑だ。ヘクトーはもちろんホメロスの『イーリアス』中、アキレスと戦って無残に殺されたトロイの英雄である。犬の墓碑銘をどのようにするかは、犬を飼わない人には理解の外にある、切実な問題である。マックのはこうしよう。
 「さくら咲く晩雪の土に戻さむ」
20170309
 p94
 私は何でもひとの言うことを真に受けて、正面から彼らを解釈すべきなのだろうか。もし私が持って生まれたこの単純な性情に自己を託して顧みないとすると、時々とんでもない人から騙されることがあるだろう。・・・それでは、他はみな擦れ枯らしの嘘つきばかりと思って、相手の言葉に耳も貸さず、心も傾けず、言葉の裏面に潜んでいるらしい反対の意味だけを胸に収めても、それで賢い人だと自分を評し、またそこに安住の地を見いだせるだろうか。
 ・・・いまの私は馬鹿で人に騙されるか、疑い深くて人を容れることができないか、このどちらかでしかないような気がする。不安で、不透明で、不愉快に充ちている。もしそれが生涯続くとするなら、人間とはどんなに不幸なものだろう。