アクセス数:アクセスカウンター

絓(すが) 秀実  「1968年」1(ちくま新書)

 一九六八年は私が大学生になった年だ。田舎から出てきたばかりの私には何もわからなかったが、一九六八年は、「著者まえがき」に言うように、学生を中心とした「世界的な動乱」の年であったらしい。東大をはじめとする多くの有名大学のバリケード封鎖は一九六八年に起きたことだし、私のいた大学でも周辺の電車道路の敷石がはがされて、それが学内に投石されたり、夜半には学生同士の危険な乱闘が起きた。私の顔の何十センチか先を鉄パイプが飛んだことがある。火炎瓶も飛びかって、小さな火事があちこちに起きた。飲みに誘ってくれた美しい女友達に小林秀雄の話をして呆れられたのも、一九六八年の秋だった。
 しかしそれから四十年以上たったいま、資本主義経済と情報の圧倒的なグローバリゼーションの中で、当時の主役であった「新左翼」の思想的な意味を問われることはほとんどない。
 本書は、部落解放運動を含む当時の左翼イデオロギー状況の総体を、その内側にいた著者の立場から事細かに述べたものである。いまどき「新左翼」などは、よほど気心のしれた相手でないとだれも口にしない。だから本書で、十以上もありそうなその分派だけでなく、日本共産党内のいくつかのグループ、ベ平連日中友好協会、朝鮮総連などが解決不能な形で絡まりあい、そこに三島由紀夫連合赤軍の事件がさらにタテ・ヨコにかぶさってきたことを述べられても、わたしは当時の裏側によく通じていた読者でないので、著者は何を言いたいのかがよくわからなかった。
 漱石『思い出すことなど』中の言葉を借りれば、そこに学者(?)らしい手際はあるかもしれないが、とぐろの中に巻き込まれる素人は茫然(ぼんやり)してしまうだけである。事実、対象読者が団塊世代であるのに、あまり版を重ねていない。エンディング近くまで、著者は楽屋話をしたかったのかしらと思う読者も多いのではないか。
 少なくとも、世界一の拝金・超資本主義と四千年来の武力帝国主義をひけらかす今日の中華帝国のプレゼンスを前にすれば、一九六八年に起きた日本の左翼イデオロギー状況は世間知らずの子供の火遊び、大人(中国とアメリカとロシア)の本気の怖さを知らないナイーブな青年たちの革命ごっこと総括されても、正面切った反論は難しい。
 当時の私たちは、資本主義と帝国主義が間違いなく相互補完的であることを知らなかった。その私たちの純情な革命ごっこを思わず吐露してしまった中核派社青同革マル派の「論文」に触れたページが何ヵ所かある。東映ヤクザ映画の『仁義なき戦い』のリクツをあまり嗤えない内容の「論文」なのだが。

 p264
 中核派社青同内ゲバを「戦争」として遂行したように、彼らは内ゲバを自らの革命運動の中心と位置づけた。一方の革マル派全学連革マル派系)、革共同のほか、高橋和巳、梅本克己などの文章も収録する『革命的暴力とは何か』(こぶし書房、七一年)を刊行して、自派の内ゲバを肯定する論理を呈示しようとした。それは、平たく言ってしまえば、自派だけが正しいから殺人も含めた他党派への暴力は「革命的鉄槌」として許されるという、幼児退行的ナルシストのものであった。