アクセス数:アクセスカウンター

絓(すが) 秀実  「1968年」2(ちくま新書)

 この本にはいくつか“後付け”の理屈が含まれているので、そこが気になると著者・絓氏の人間性さえ疑う読者もいるにちがいない。ちなみにウィキペディアによると、柄谷行人は絓氏のことを「いいことをしても、人の嫌がる形でしかしない人なので、つねに誤解される」と評したという。
 p143 
 六八年にいたると、大学の変容はあきらかであった。大学生は将来の(社会をリードする)労働の担い手たりえないことに気づき始める。現代ではだれもが認めざるをえない労働力のジャンク化が自明のものとなってきたのだ。したがって、闘争は、もはや「学費値上げ反対」のために戦われるべきではなく、いまだに(社会をリードする)労働の担い手として学生を規律/訓練する大学に対する無期限のサボタージュとして戦われるべきである。少なくとも、先端的な心性においてはそうであったはずだ。

 私にとって、これ以上の後付け理論に出会ったことはあまりない。六八年に労働力のジャンク化を予測していた経済学者、社会学者は何人いたのだろう。先端的な心性などに無縁で、呑気な私や何人かの友人たちは、資本主義は打倒されるべき悪であると信じていた。あの文化大革命を始めた中国がまさか世界最悪の資本・帝国主義国家になるなどとは夢にも思わず、資本主義がイデオロギーではなくホモサピエンスとしての避けられない業悪であるとはついこのあいだまで気づかなかった。「労働力のジャンク化が自明のものとなってきた」のは、ネットコンピューティングが恐ろしい進歩を遂げた二○世紀末のことであり、人間の労働のかなりの部分が能天気な「ロケットサイエンティスト」のコンピュータに置換されうる、したがって中途半端な大学教育を受けた「中等市民」などは必要とされず、一部エリート以外はすべて「平準下層市民」でいい・・・・・、こうしたことがはっきりしたのもそのとき、リーマンショックのつい一○年前ではなかったか。
 とはいえ、「一九六八年」からは多くのマイノリティ運動が生まれた。著者が一七ページで言うように、「一九六八年」では「正義」を決断することが全党派を通じるほとんど唯一のモラルだったから、「正義」を求めるとされる運動はだれも拒否することができなかった。その一つが今日PC(ポリティカル・コレクトネス、政治的な正しさ)の追求である。確かに性差別はいけない、職業差別はいけない、学歴差別はいけない、というわけである。そうであれば、差別につながる言葉は排するべきである。
 ということで勢いあまって、たとえば、障害(碍)者なる言葉は「碍」が当用漢字になく、「害」という当て字が「悪事をおこなう」に通じるということで「障がい者」になるという奇天烈な事態になってしまった。スーパー、デパート、ホテルの従業員のあのバカ丁寧な応対マニュアル言葉も、じつはこのPCに淵源している。PCとはあらゆる人々に不快な印象を与えないことを、元来はめざしていたからである。
 またさらに「ポリティカル・コレクトネス」は日本の議会政治のウザッタイ「熟議」志向に簡単に結びついてしまい、国会の審議のスローぶりは世界中に呆れられている。カタツムリも驚くほどであり、その間に国債の格付は南米諸国並みに落とされてしまった。国民は結論の遅さを怨嗟しつつも次の原発事故の影におびえまくって、「同じような事故が三○年以内には八四%の確率で起きる」などと、統計学の途方もない誤解がまかり通っている。いま太陽にはスーパーフレアの兆しがあり、いったん起きればその放射線被爆原発どころではないにもかかわらず。
 読み終えて不思議に感じたこと。私の時代のヒーローだった東大全共闘議長・山本義隆氏が本書には全く登場しない。山本義隆氏は後に西洋物理学史『磁力と重力の発見』三巻(みすず書房)を書き、私はその該博な知識と文芸への深い理解力に感銘を受けた。ただし氏は、東大全共闘時代についてのメディア取材は一切拒否しているというが。