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安部公房 「砂の女」(新潮社)

 p12-13
 砂粒の大きさは1/8mmを中心に分布している。岩石を削る水にしても空気にしても、すべて流れは乱流を引き起こすが、その乱流の最小波長が砂漠の砂の直径にほぼ等しいと言われている。この特性によって、とくに砂だけが土の中なら選ばれて流れと直角の方向に吸い出される。粘土でさえ飛ばないような微風によっても砂はいったん空中に吸い上げられ、再び落下しながら移動させられるというわけだ。
 その流動する砂のイメージは、彼に言いようのない衝撃と興奮を与えた。砂の不毛は、ふつう考えられているように、単なる乾燥のせいなどではなく、その絶えざる流動によって、いかなる生物をも一切受け付けようとしない点にある。年中しがみついていることばかりを強要しつづける、親しい顔どものうっとうしさにくらべて、なんという違いだろう。

 砂丘の真ん中に、屋根より十メートルも高い砂の山に囲まれた壊れかけの家に誘い込まれ、そこに住む「砂の女」と暮らすことを強要される主人公。崖の勾配が五十度以上もある周囲の砂山は、人間の問いかけと働きかけをすべて拒絶する「世界」の象徴だ。スコップで掘っても砂は崩れてくるばかり。大砲を撃っても衝撃は砂に吸収されるだけに違いない。登れる縄梯子は上で外されている。
 女は、誘いかけるようでいて、「彼女の意思」としてはそのつもりはまったくない。彼女は一切の生物を受け入れようとしない世界にはじかれながら、意思を持たず世界にしがみつく鉱物のような(動物ピープル)生命体なのだから。

 p126
 「彼だって、純粋な性関係などというものを夢想したりするほどロマンチックだったわけではない。・・・死の危険にさらされることの少なくなった人間には秩序というやつがやって来て、自然の代わりに牙や爪や性の管理権を手に入れた。そこでは性関係も、電車の回数券のように、使用のたびにパンチを入れてもらわなければならなくなる。あらゆる種類の証明書、・・・、収入証明書、さては血統書にいたるまで。・・・おかげで性は、みのむしのように、証文のマントにすっぽり埋まってしまった。そして最後には、男も女も、相手がわざと手を抜いているのではないかと、暗い猜疑のとりこになる・・・潔白を示すために無理して新しい証文を思いつく・・・、無限に続く」

 この性関係のありようの記述が、『砂の女』執筆当時、はたして新しかったのだろうか。平安の世から男と女はこうだったのではないか。「愛情の義務」などという言葉は一九六○年代になって出てきたのではないだろう。文字化されたのは戦後かもしれないが、男にも女にも密やかな「義務」はあったし、ときには婉曲な言葉になって相手からそういわれ続けてきた。大脳表皮から出るのか、脳下垂体から発せられるのかわからない、身体の短い言葉は正確な解読がほとんど困難で、誤読が何度か続くとあくる日の日中の男と女の会話は、前日のやりとりの余韻がうす暗い陰になって、口の中に砂粒が入っているようなものになった。
・・・四十年前、学生のときに読んだ「砂の女」は難しい小説だったが、こんな簡単な話だったのだ。・・・主人公はとうとう砂山の下の家を逃げ出すことを放棄し、動物ピープルの女と一緒に外の世界との関係を絶って、砂の一粒となっていくことを選ぶ。世界の秩序はすべて放棄され、この世に生まれたときのままの、死のような自由を選ぶ。

 p148
 片道切符のブルースを鼻歌交じりに歌えるのは、いずれがっちり往復切符をにぎった人間だけに決まっている。だからこそ、帰りの切符を紛失したり盗まれたりしないようにと、あんなにやっきになり、株を買ったり生命保険をかけたり、労働組合と上役に二枚舌を使ったりもするわけだ。
 p165
 砂丘の稜線の一つが金色に光る美しい風景が、人間に寛容である必要などどこにもないのだ。結局、砂を定着の拒絶だと考えたおれの出発点に、さして狂いはなかったことになる。直径1/8mmの流動・・・状態がそのまま、存在である世界・・・この美しさはとりもなおさず死の領土に属するものなのだ。