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チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ 「半分のぼった黄色い太陽」(河出書房新社)

 (本書の主人公であるイボ人たちの)ビアフラ国旗は赤・黒・緑の帯の中央に「半分のぼった黄色い太陽」が輝いている。
 ナイジェリアは北部、南西部、南東部(ビアフラ)で民族と言語と社会状態が大きく異なっている。イギリスは自分に都合のいいように、北部、南東部、南西部の分割経営という植民地政策をとった。民族間の違いを巧みに操り、先住民の対立をあおることで自分だけに利益をもたらし、統一が存在しないことを確保することで広大な国の統治を続けたのだ。六十年代の虐殺の原因が民族間の憎悪であるなら、その憎悪はイギリスが引き起こしたものである。
 ビアフラ国家は二年半しか存続できなかった。極端なタンパク欠乏によるクワシオルコル症で、二百万のイボ人難民と子供たちが、腹だけがサッカーボールを入れたようにふくらみ、爪楊枝のように痩せて死んでいったとき、わたしたちの世界は米英に遠慮して沈黙を決め込んでいた。
 小説では凄惨なビアフラ内戦の内側が描かれるが、どす黒い絶望に全体が覆われているのではない。魅力的なビアフラ知識階級の恋物語、自分の青臭さに悩む西洋人ジャーナリストの混迷、魅力的でびっくりするほど無知なハウスボーイたちの喧騒がみごとな横糸になっていて、作者のストーリーテリングの力量は超一級だ。「神様に通じる電話はないのよ」という主人公の妻オランナの一言がよく伝わってきた。「壊れない幸福など退屈なものだ」という一行も。

 p37
 白人男を、並んでいる人の列の前に割り込ませるチケット係に対して、オニデボが叫んだ。「この卑屈な阿呆が!白人は自民族より上に見えるわけか?列に並んでいる人たち全員にいますぐあやまれ!」
 p59
 知識階級である奥様オランナのイボ語に、召使ウグウは必ず英語で答えた。オランナがイボ語で話しかけるのを侮辱と感じるらしく、自己弁護しなければと執拗に英語を使った。(p25)そのウグウは、白人を見るまでは、草色の目をしているのは悪魔だけだと、実はずっと思っていた。
 p59
 ラゴスで育ちロンドン留学経験もあるオランナは、なぜ生花がプラスチックの造花よりすてきなのか、自分でも説明できないのに気づいた。ウグウには役に立たないものは捨てなさいと教えたが、じゃあ生花はどうしてプラスチックの造花より役に立つのかと、ウグウから訊かれなければいいがと思っていた。
 p66
 イギリス人のアフリカ人関連のジョーク。「アフリカ人が犬を散歩させているとイギリス人が“その猿をどうするつもりだ?”と訊いた。アフリカ人は“犬だ、猿ではない”と答えた。話しかけられたのは自分だといわんばかりに!」
 p67
 イギリス的良識に裏打ちされたスーザンにとって、黒人女性は脅威にはならない。彼女たちは、白人男をめぐっては対等なライバルではないのだった。
 p85
 「オベンイェアルというのはナイジェリアの女の子のごく普通の名前だけど“貧しい男と結婚するな”という意味なの。お金好きのナイジェリアに社会主義が根付くのかしら」
 p138
 英国人は北部を好んだ。そこは暑熱がさほど厳しくなく、乾燥していた。北部のハウサ人たちは華奢な顔立ちをしているため、イボ人たちネグロイド系の南部人よりすぐれていると英国人は考えた。さらに、封建制をとっているイスラム教徒であるため、文明化されている先住民であるともとみなしうるとし、間接統治にはもってこいだと考えた。
 湿度の高い南部は、精霊信仰と共通点のない民族であふれていた。西部はヨルバ人、東部はイボ人が最大の民族だった。彼らは御しやすくはなく、厄介なほど野心的だった。彼らを手なずけるため宣教師は入り込むことが許され、キリスト教教育が隆盛を極めた。
 p193
 イボ人の大量虐殺は「古くからの部族間の憎悪」が原因なのではない。最初のイボ人の大量虐殺は一九四五年、英国植民地政府によって引き起こされたものだ。全国ストライキの責任が南部のイボ人にあるとした植民地政府が西部のヨルバ人、北部のハウサ人たちの反イボ感情を広く奨励したのだ。(p162)経済力や組織力にすぐれたイボ人に対する、北部ハウサ人の憎悪は特別にすさまじく、北部兵士たちはイボ人捕虜を独房にいれ、自分の糞を食べさせた。それから気絶するまで殴り、鉄の十字架に縛り付けて、死ぬまでそうしておいた。
 p207
 「イボ人弾圧の理由は石油よ。連邦政府がそう簡単にあの石油をすべてわたしたちイボ人に任せたりするものですか。」
 p349
 (イスラムの陋習に釘付けにされたハウサ人を中心とする)ナイジェリア軍第二師団は、ビアフラのカトリック教会に突入したとき、祭壇に脱糞してから二百人の民間人を殺した。
 イスラムは教義として戦闘を教えているわけではないが、セム的一神教の常として現世倫理を重視し、行住坐臥のすべてに戒律の網目がめぐらされている。日常生活のすべてに到達目標としての理想があるわけだが、イスラムにはキリスト教仏教のように一般民衆とはかけ離れた、職業としての僧侶階級は存在しない。一般民衆を導くのは、民衆の中でもとくに「志が高い」と認められた人間、皮肉な見方をすればより原理的でアラーの教えを厳格に実践しようとする狂信的な一群の人々である。
 これらの人々にとっては信仰こそがすべてであるから、民衆の近代的教育や啓蒙は二次的意義しかもたない。教育や啓蒙が戒律と対立する可能性があれば、それらをことごとく無視してはばからない。「宗教は阿片である」というキャッチフレーズは、僧侶が狂信者であり民衆が地を這っていた北部ナイジェリアにおいては十分正しく、民衆はミミズのようにキリスト教会の祭壇に平然と糞をしたのだ。

 p420
 リチャードは西欧ジャーナリズムのルールについて書こうと思った。ビアフラでは、白人の死者一人は黒人の死者百人に相当するということを。