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安部公房 「鉛の卵」(新潮文庫)

 今から80万年後、鉛の卵の形をしたタイムカプセルの中に80万年間冷凍保存された「古代」つまり現代の人間が、80万年後の未来人類の前に突然姿をさらすことになったという話である。
 そのとき未来人類は、「市民」と「どれい族」に社会分化しており、「まだ今日のような過去再生機もなかったし、またもっぱら事実以上に人間的曖昧さを尊重する風潮もあってか、歴史を伝達するために、選ばれた学者を冷凍し後世につたえるという面白い習慣があった」いまの私たちの時代を、80万年後の視点から分析しようとする。
 冷凍保存からよみがえった人間は、未来人から身上調査されるが、衣服と皮膚の関係とか、快適と感じる日光の照射量とか、視覚的、形態的なことばかり聞かれ、緑色をした80万年後の人間を「ひどく表面的で散発的なことにしか関心がない」と感じる。80万年後の人間はひどく賭け事が好きであり、「古代人」が鉛の卵からよみがえる時期や蘇生時の生死についても賭けを繰り返す。未来人は「表情筋が退化してしまっているのか、ほとんど表情らしいものがなく、得意顔や消沈顔を、その唇のとがらせ具合だけであらわす。」(P330)
 「ひどく表面的で散発的なことにしか関心がなく」なんでも賭けの対象にするアメリカ人を皮肉っているのだろうが、べつに目新しくもない視点だ。
 緑色をした未来人は実は、動くということをのぞけば生活のすべてを植物化した存在である。5、60万年前の大飢饉の時代に、生理学者であった祖先が人間改造に着手した。血液の一部を(化学組成の似た)葉緑素に変えて、飢餓状態の変異しやすい遺伝子性質を利用して、それが人間全体に伝播したのだという。
 未来人は半植物なのだから、ふつうに、退屈しながら暮らしていれば500歳にならなければ死ねない。いまの「後期高齢者」が体中が「人間」ならざるものになってもなかなか死ねないように、果てしない無意味な長寿が唯一の悩みである。これに対し、人間改造に失敗した不適格者が「どれい族」であり、いまの我々のように生き死にする。
 結末にどんでん返しがある。緑の植物人は12万年前まで繁栄した人類の変種なのだが、人間改造は成功したのではなかった。できそこないの不適格者といわれた「どれい族」こそ最終的に生き残って、鋼鉄の網の目のような都市を作って繁栄しており、緑の植物人を古代博物館内の保存公園に囲っていたのである。
 「できそこない」の私たちを作者は嘆いているのだろうが、私たちの何を大げさに嘆いているのだろう。私たちが積極的に関わったわけではない生物進化のただいまの結果を嘆かれても、世界が何一つ変わるわけでもあるまい。