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司馬遼太郎 「微光の中の宇宙(私の美術観)」(中公文庫)4

 須田国太郎
 p164
 わが国の地理環境は色彩感覚の上で特殊といっていい。空気が素直に太陽の光を透さず、多くの場合、水蒸気が気色の色彩の決定に重要な要因をなしている。ヨーロッパなどの乾燥した地理的環境の国々とはまったく異なるのだ。
須田国太郎の『窪八幡』においては、圧倒的な面積を占める色彩の赤が、湿度の高い濃密な空気の奥に沈んでいる。他の色彩も形象も空気を感じさせつつ沈んでいるが、とくに赤が、空気の奥に秘められていることのあやしさを蠱惑的に(といって主張はせず)、ひたすらに実在している。
 p176
 須田国太郎は京都大学では哲学科を選び、美術・美学史を学んだ。その理由として須田自身、「東洋と西洋ではなぜ違った方向に向いて絵が発達したのだろう。われわれの新しいものは、その綜合の上に立つべきではないのか。それを研究したかった」といっている。
 p166
 新聞社の美術記者時代、私は洋画の公募展を十年ほど見歩いていた。公募店の作品の多くは、自分のかけがえのない表現を、師に習った絵画の様式史でもって決定し、その最先端に身をゆだねることでモダニズムに参加しているという不思議な安堵感の上に安住していた。このことは社会心理学的な課題ではあったが、芸術の課題ではなかった。
 若い人たちだけではなく、古参の会員たちもひそかにあるいは公然と、家元を持っていることが多い。ヨーロッパの画家の影響下で、というよりもその模倣の中で仕事をしているむきが多く、影響を排除すれば、もともと怪しい自分の実体がさらに希薄になると考えているかのようである。絵を描こうと志す人が、自分を出そうとしないのは不思議なことである。初めからいじけていて、一生を家元の井戸の中で暮らそうと決めたかのようである。家元のとは違う顔料を使っちゃいけないとか、光の入りかたはこの先例に倣うべきだとか・・・。
 こうした態度を恥じるよりは、逆に影響を受けていることを誇示する気分さえあり、そのことはわが国の洋画がまだ六○年しか経っていない、したがって水蒸気の濃度といった地理的環境による色彩の違いなどには思いもいたらない「輸入芸術」であることの偽らざる証明であった。