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ロベルト・カスパー 「リンゴはなぜ木の上になるか」(岩波書店)

 俗説では、ニュートンは自宅のリンゴの木から熟したりんごが自然に落ちてくるのをみて、地球とリンゴの間には引っ張り合う力があることを直感したという。わたしたちは子供のときそう教えられ、高校の物理の時間で重力加速度というものを習い、宇宙にそんな法則が「先験的に」あることを自分に納得させてきた。
 しかし、著者の言うとおり、リンゴが太い幹の途中や地下の根っこにならないのは、考えてみれば不思議なことではなかろうか。わざわざカラスに見つけられ、食べられやすいように、奇矯な性格のニュートンが自分の天才を世界に見せつけやすいように、目立つ木の上に目立つ赤い色の果実をならせるようになったのだろうか。
 この本は、ネオダーウィニズムの立場から書かれた進化論の概説書である。名著であると思う。著者三○代前半の作物というから、ロベルト・カスパーは驚くような博識の人である。ただし、一九八四年の発行だから、今世紀になっての分子生物学や遺伝子の量子的振る舞いについての知見は含まれていない。
 訳者の一人である養老孟司のいうように、この本でカスパーは、宇宙の秩序から始めて、進化をとてもやさしく、といって通俗に堕することなく解説する。しかしネオダーウィニストとして、話題はごく自然に、人間を人間たる秩序におくための哲学、宗教、文学にまでわたることになる。
 ただ、このことを、著者が博学だからとか、優秀な学者だからとかいう個人的資質だけに還元することはできない。むしろ、ヨーロッパという精神が生み出した最も重要な観念の一つが「進化」という思想だからこそ、この書物が生まれたのだ。ヨーロッパで進化を扱おうとすることは、必然的にそのヨーロッパの精神史全体――ツヴァイク『昨日の世界』が叙する旧オーストリア帝国の首都ウィーンの知的風土のような――に触れることなのだから。
 少しできる子なら高校生でも十分読みこなせる本である。文章はウィットに富んでいて、頑迷なキリスト教会を皮肉るところでは、思わず大笑いをしてしまう。いけないのは、この本の判型である。海外A4判とでもいうのか、幅が二十一センチもある。しかも横二段組み。わずか一四○ページ弱なのに、判型に慣れていないのでとても読みづらい。

 p34 達者な文章の一例
 顕花植物は、増殖に際して、主に昆虫相手の「取り引き」に依存しています。君を食事に誘ってあげるから、そのかわりに僕たちの花粉を撒いてくれるんだよ、というわけです。花粉だけでは昆虫は満足せず、花蜜もほしがります。ワラビのようなシダ類ですらこの高価な飲み物を作り出すのですから、顕花植物がこの需要の多い食物を「通貨」として活用し、花の中での受粉を反対給付として受け取ること以上に収益のいいことがあるでしょうか。
 p107 兄弟姉妹による、形質・顔かたちの遺伝の違い
 母方と父方からの染色体が混ざり合うとき、対をなす染色体が受精卵細胞の中央面に集まり、対の片方ずつが二つの極に分かれて移動します。このとき、母方と父方からの染色体は一定の割合に分かれて上と下の極に移動するのではなく、分かれ方の割合は「偶然」に支配されます。わたしたちは二十三本ずつの染色体を父と母から受け継ぎますが、上下の極に移動する割合は十六:七でもいいし十:十三でも、二十:三でもいいのです。決めるのは「偶然」なのですから。
 p127・134・136 認識ということ
 ゾウリムシは、障害物にぶつかると、必ず少しあとずさりするように泳ぎ、特定の角度だけ旋回し、障害を避けて再び前方へ泳ぎます。ゾウリムシは、障害物を迂回することを、親に習うわけではありません。この知識はあきらかにプログラムとして、生まれつき個体に作り付けられています。
 わたしたちの体には、わたしたちが進化の途上にある証拠として、「過去の遺物」をたくさん持っています。たとえば、広げられない単一の骨の輪を通してしかお産はできません。もし神さまのように優秀な建築家でも、こんな構造物を人間のためにだけ作ったら、設計料をとってはなりません。
 わたしたちは哺乳動物なのであり、哺乳動物は一億年前の誕生当初に骨盤をこういう風に作っておくしかなかったのですから、建築方式を母親の安全のために根本的に変更することはできないのです。骨盤を変更すれば、直立歩行のための足の関節、血液を上方に送る冠状動脈、背骨などの形成をすべて大変更しなければなりません。
 ゾウリムシよりも「高度に進化」したわたしたちは、わたしたちの理性が、まだ世界に悪意が存在しなかった時代に始まることを理解しています。交尾時にメスがオスの頭を噛み切ってしまうカマキリがいますが、それで自分の種を滅ぼしてしまうことはありません。メスはそれを「悪意」でするわけではなく、オスの交尾行動が触発されるには、オスの特定の神経系が切断されくてはならないように「できている」からなのです。