アクセス数:アクセスカウンター

山本義隆 「磁力と重力の発見」(みすず書房)3/7

 ニコラウス・クザーヌスの「思弁による地動説」 
p312
 一五世紀前半、ニコラウス・クザーヌスという枢機卿が宇宙の無限性を主張している。コペルニクスの地動説より百年も前のことである。
 彼は、経験や観測事実から導かれたものではない<思弁による地動説>によって、 「宇宙には中心がありそこに地球が静止している」というプトレマイオスの宇宙像を根幹から否定した。 「宇宙は限界のないものである。なぜなら、われわれが宇宙の辺縁を想像できない以上、宇宙より大きなものは、現実に存在しえないからである。一方、無限なものに中心はありえないから、中心でないところの地球がどんな運動もしない、ということもありえない」という思弁である。
 もちろんクザーヌス枢機卿は物理学と数学を欠いていたのだが、とは言っても現代のわれわれが、「一四六億年前に大爆発を起こし、以来膨張を続けている」宇宙について決定的エビデンスを持っているわけではない。時間の始原と膨張の辺縁について、説得性のある説明を与えられているわけではない。こういう事柄についての「エビデンス」は、<時間とは何か><空間とは何か>についての数学的思弁に行き着かざるをえないため、その数学的思弁を画像イメージにとらえられる人以外には、ただの呪文に過ぎない。そういう人は、かつてアインシュタインの一般相対論がそうだったように、世界に数人しかいないとされる。
 
 魔術の世界でもあったルネサンス
 p369
 ニコラウス・クザーヌスは高位の聖職者だったが、一般のルネサンス人にとっても、自然は象徴と隠喩の集合体であり、宇宙は巨大な力のネットワークそのものだった。だからこそ魔術は、宇宙と一体になることによって自然的事物の中に隠されていた意味を感知し読み解き、森羅万象にゆきわたるこの力のネットワークを操作する深遠な科学であり、神聖なエビデンスにあふれた技術にほかならないのだった。
 自然界は諸事物とその相互作用からなり、人は観察をとおしてその力を知ることができるというこの魔術思想は、やがて近代物理学のキー概念ともいうべき万有引力概念を準備するものとなった。
 しかしここから直線的に近代科学が生まれたわけではない。ルネサンス人は古代以来の文書や伝承に無批判で、そこに語られていることに絶対的な権威を認めてしまっていた。まさに、科学の進歩にとって最大の敵は、自然魔術の思索や実験ではなく、旧態依然として硬直化した書物偏重の知であった。
 p377
 この時代にはノンフィクションとフィクションの明確な区別があったわけではない。「ありえない」は事物の存在の仕方が確定されたときはじめて、その存在の仕方から導かれ得ないものごとに対して言えることであって、ルネサンス時代にはほとんど何一つ存在の仕方が確定されたものはなかった。当時信憑性を保証するものは何よりも教会と大学の「権威」であった。サイエンスはいくつかの都市でまだら模様に進み始めただけで、この時期に一気に開花したというように単純なものではなかった。
 ルネサンス時代は、半径の無限な円周は(曲率がゼロであるから)無限な直線と一致することも、思弁が「発見」した。しかし同時に、「新しい有限な事象は、既知の有限な事象との比較によって価値が判断されるが、無限なもの対する比較は不可能なために、有限な知性である私たちは神を認識しえない」 という不可知論がいくらでも成り立つ時代でもあった。
(p309)
  
 引力としての磁力
 p427
 一五八一年、ロバート・ノーマンは磁針の「指向」は「牽引」によるのではなく、「整列」させ「回転」させる能力によって生じることを明らかにした。現代風に言えば、磁場が磁針におよぼす力は、一方向への引力ではなく、その合力がゼロになる「偶力」である。「しかしいかにしてその力が生じるかについては、全能の神の意志によるとしか、わたしにはわからない」と、一世紀後にニュートン万有引力の方程式を記述したときと同じことを言った。
 p431−4
 (あまり知られていないが)この時代は、イギリスで「先駆的工業革命」が起きていた時代である。商品経済の発展にともなう資本主義的競争が激しくなっており、エリザベス一世によるアメリカ植民計画、東インド会社設立、スペイン艦隊撃破など、以後三百五十年間のイギリスの時代が始まろうとしていた。一五七六年にはコペルニクスの『天球の回転について』の主要部分の俗語(英語)訳が出版され、一般平民の技術者にまで広く読まれている。
 一六○○年に日本に漂着した三浦按針はこの時期のイギリス社会に育ち、独学で幾何学や航海術を学んだ知識豊富な造船技術者だった。シェイクスピアは一五六四年の生まれである。