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山本義隆 「磁力と重力の発見」(みすず書房)4/7

 十六世紀文化革命
 p453−462
 鉱山開発と冶金、鋳造などの大部な技術書『ピロテクニア』を一五四○年イタリア語で出版したビリングッチョと、同分野の技術書『メタリカ』を一五五六年イタリア語とドイツ語で出版したアグリコラは、それまでの時代にはなかったあるエートスを共有している。「合理性」というエートスである。合理性とは、人が死ぬまでに獲得しようとするある目的と、その目的達成の前に立ちはだかる諸条件を、「生命の側にある理屈において」クリアしようとする現世的な「思考規準」であり、近代人に典型的なものである。錬金術師や鉱山師のあいだに伝承されてきた中世的な迷信の多くは、自然に立ち向かい、自然から富を収奪しようとする彼ら――産業資本家――においては、きっぱりと否定されている。
 書き言葉としての各国語がこの時代に定着し始めたのも、彼らの述作によってである。
 しかしビリングッチョやアグリコラの経験主義、実証主義も、磁力に関しては古代からの言い伝えに対して無批判である。いわく「ダイヤモンドは磁力を停止させる。鉄が山羊の乳やニンニクの汁に浸されると磁力は及ばなくなる」。磁力という遠隔作用は十六世紀中期の段階ではまだまだ謎だった。
 p509
 とはいえ、星辰と人間のあいだに大宇宙と小宇宙の遠隔作用を認める魔術的な自然観をとおして、スコラ的自然観を克服する観点が生み出されていった。地球を、胎内に金属を生育させる生命的な活性に満ちた存在とみなす錬金術の自然観は、<地球が下賎で不活発な土塊であり、高貴な天球は地球と無関係に周回し続けている>というアリストテレス宇宙像の打破につながっていった。
 また、天体が地上に影響を及ぼしていると考える占星術の自然観は、天体どうしが互いに力を及ぼしあうという見方に道を開くことになった。磁石としての地球、天体間の重力といった近代科学の重要概念が生まれたのは、実はこの(自然の中に隠れた力を認める)文脈においてであった。
 p510
 中世キリスト教世界では、魔術と異端は事実上同義であり、魔術は教会権力の許容しえぬものであった。とはいえ現実には、ことはそれほど単純ではない。当たり前のことだが、教会に批判的な目で見れば、祈祷を唱えて悪魔を追い払うのも、呪文を唱えて悪魔を呼び出すのも裏腹であり、パンとぶどう酒がキリストの肉と血に変るというミサそのものが魔術的儀式と選ぶところがない。
 魔術の数学化・技術化
 p537
 ロジャー・ベーコンを「見出した」ジョン・ディーは、一五七○年の英訳『ユークリッド原論』の序文に「数学の応用でもって国益の増進と個人の栄達が図れる」と謳っている。このことは、この十六世紀に国民国家というものが形成され始め、個人の栄達と利害を国家の繁栄に重ね合わせてみる「市民」層が台頭し始めたことを示している。
 これは、ウェーバーの言うように、ヨーロッパでだけ起きた現象である。アラブ世界では今日も、個人の栄達と利害に強く関わるのは「部族」の繁栄である。アラブに国民国家は存在しないし「市民」層もいない。「国民国家」である西欧が自らになぞらえてアラブを「国民国家」とみなし、干渉・交渉しても事態が進展しない基本的理由がここにある。
 ヨーロッパ諸国は一七世紀、三十年戦争後のウェストファリア条約に参加した「国民国家」の国々のみを戦争または和平の交渉相手としているが、アラブ諸国はヨーロッパ諸国のような「国民国家」ではない。千年、二千来の大きな部族のアモルファス的集合体である。このようなアモルファス国家のテロリストに対して、正規軍同士の戦争にしか慣れていない西欧諸国はなすすべを知らない。アモルファス国家のテロリストは地上のしかるべき経度・緯度に存在しないのだから、西欧軍の精密誘導ミサイルは決してテロリストを破壊できない。