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山本義隆 「磁力と重力の発見」(みすず書房)7/7

 ニュートンと重力
 p857
 「私は力の物理的な原因や所在を考察しているわけではない。それらの力は物理的にではなく数学的にだけ考えられなければならない」というニュートンの言説は同時代のライプニッツにさえ理解されなかった。弁神論者ライプニッツは「神がその目的を達成するためどのようにしたのかを明らかにするようなものを何一つ認めない」ニュートンの説は魔術や奇蹟を認めることと同断だとした。
 力が働くとき、そこに「主体」を措定したい人はいつの時代もいるのだが、ニュートンは重力の原因の追究を放棄した。反ニュートンの人たちにとっては「空虚の中に力が生まれる」ことなどは「世界に成因などない」といわれることに等しかっただろう。
 p862
 力が、五感に訴えることのない「秘儀」として、自然の制御のために呼び出された場合、そこに「魔術」の出番がある。逆に「五感にとらえられることのない力」を「法則」に確定することによって、魔術は科学の土俵に乗せられるいえる。ニュートンは「魔術的な遠隔力」を合理化することで、自然哲学から「神の秘儀」としての「存在論」を追放したのである。
 しかしニュートンも、時代の人であることを免れることは不可能だった。プリンキピア執筆を含めて力学研究に打ち込んだのはせいぜい三年であり、その十倍を錬金術に没頭している。存在論は問わないといいながら「エーテル」を模索している。
 p904
 オイラーは数学者としては超一流であったが、エーテルの圧力差でもって重力の逆二乗法則を記述しようとするなど、自然哲学者としてはいまひとつである。オイラーの例のように、言語が導く論理の進め方と数式が導く論理の進め方には一人の人間の中でも微妙なちがいが出る。数学論理はある論理の過程から次の式が必然的に導かれ、前の式と次の式のあいだは線形(微分可能)でなくてはならないが、言語論理は、前の式と次の式のあいだは飛躍・思い込みが頻繁に入り込む。しかも、飛躍・思い込みを指摘し批判する側も同じ轍にはまる可能性があり、批判と反批判のあいだに論理が正確に架橋されるとは、まったく、限らない。
 p938
 磁力、重力をふくむ自然界の種々の力を「共感と反感」「隠れた力」とする魔術は、存命中から「伝説的存在」だったデカルトなどの機械論によって解体されたのではなかった。
 磁力そして一般に力の研究の発展は、「人間悟性を信頼する近代人」デカルトなどのめざした還元主義の方向にではなく、どちらかというと、世界の成因に迫ろうとする中世以来の霊魂論や物活論の影響下にある人たちによって進められた。そのギルバートやケプラーは離れた距離間に瞬間的に及ぼされる「人間を超えた力」を信じる「中世に片足を残す」人たちだった。
 一五〜七世紀、地球が大きな磁石であることが発見されたこと、地動説によって太陽も巨大な磁石であると仮想されたこと、磁力強度は磁石との距離と関係があること、ローソクの明るさの距離との反比例関係の知識などがヨーロッパ各国で蓄積されて行き、その結果魔術的な遠隔力が数学で記述しうることがはっきりして行った。数学の論理が思い込み、ごまかしを隠せないことは万人の検証できることであったから、人びとは魔術の「本質」や「原因」をめぐる問いを棚上げし、興味を失っていったのである。
 「力」の概念はもともと「宇宙の第一者」「第一原因」といったギリシア哲学の概念に由来する。散々な結果に終わった十字軍時代、ヨーロッパは、イスラムの高度な神学・諸学と社会そのものの繁栄に翻弄され、イスラム思想の根本にアリストテレス哲学があることを思い知らされた。この屈辱を踏まえて、十二世紀の大翻訳運動が起こり、世界というもののあり方、その存在の原因を、社会の存亡をかけて捉えようとした。その運動が新プラトン主義、アリストテレス哲学を取り込んだキリスト教観念論の精密な論理学に実を結んだ。
 その後三世紀のあいだ、「宇宙のすべてのヒエラルヒー」を支配するのは「第一原因」の「力」であるということが受け入れられ、哲学はその支配の「力」を思弁によって根拠づけることに存在理由があるとされた。その意味で、数学によらない思弁論理で「力」を根拠づけ、二十世紀までの全世界を制覇した科学技術が、キリスト教観念論の精密な論理学をそなえたヨーロッパのみに出現したのには、充分な理由がある。