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夏目漱石 「野分」(新潮文庫)

 「野分」とは初冬の寒風に吹かれる主人公白井道也の精神の象徴らしい。年譜としていえば『虞美人草』の前に書かれた作品。「世は名門を謳歌する、世は富豪を謳歌する、世は博士、学士までをも謳歌する。しかし公正な人格に逢うて、地位を無にし、金銭を無にし、その学力、才芸を無にして、人格そのものを尊敬することをしておらん」と道也先生は嘆く(p139)。が、道也先生の「人格主義」は、西洋との 「力」 の差に度肝を抜かれて突き進む明治の産業社会化・拝金主義化のまえに、焼け石に水ほどの効きめもない。
 『野分』刊行のほぼ半世紀前、マルクスは『ユダヤ人問題に寄せて』のなかで、「新しく勃興した産業に基盤を持つブルジョワジーたちによって、封建社会はその基礎へ、つまりアトムとしての人間へ、解消された。実際にその基礎をなしている人間へと、つまり偽装としてのあらゆる社会のしがらみを、たった一人で受け止めなければならない『個人』へと解消されたのであると」書いた(加藤典洋『日本の無思想』)。しかしまだ十分に封建社会であった日本にあって、このマルクスのことを漱石は知るはずもない。
 人物造形は『虞美人草』と似ているが、プロットはもっと簡単で、各人の性格は戯画的でさえある。「不平を言うことを仕事とする」高等遊民たちは、思うところを突き詰めた果ての深刻な悲劇は起こさないし、社会転覆を企てる気概も、薬にしたくてもない。漱石作品史としては、『虞美人草』を書くための習作ともいえる。

 p93
 道也先生は考える。「世の中がこうの、社会がああのと、白銅貨一枚にさえならぬ不生産的言説を弄するものに、存在の権利のあろうはずがない。権利のないものに存在を許すのは実業家のお慈悲である。
 実業家どもは言うであろう。「無駄口を叩く学者や、蓄音機の代理をする教師が露命をつなぐ月々幾片の紙幣は、どこから湧いてくるか。手のひらをぽんと叩けば自ずから降る幾億の冨の、塵の塵の末を舐めさせて、生かしておいてやるのが学者である、文士である、さては教師である。その金を作ってくれる実業家を軽んずるなら食わずに死んでみるがいい。」
 p94-5
 高等な教育を受けて、広義な社会観を有している道也先生は、個人の社会同化の功徳を凡俗以上に認めている。ただ高いものに同化するか、低いものに同化するかが問題である。しかし、道也先生のように、世知辛い東京で教職をなげうって、両手を懐に入れたままでやりきるのは、立ちながらミイラとなる工夫、と評するより他に誉めようのない方法である。
 p100
 道也先生が、同情は正しきところ、高きところに集まると早合点して、この年月を今度こそ、今度こそと、経験の足らぬ吾が身に待ち受けたのは、生涯の誤りである。世はわが思うほどに高尚なものではない。鑑識のあるものでもない。同情とは強きもの、富めるもののみに随う影にほかならぬ。
 p110
 運命は大島の表と秩父の裏とを縫い合わせることがある。それぞれ、物はよいのだが、相性が合う合わないは別の話である。
 p135
 多数の女はわが運命を支配する恋さえも装飾視して憚らぬ。恋が装飾ならば恋の本尊たる愛人はむろん装飾品である。装飾品をもって自己を目してくれぬ男を評して、馬鹿とすら言う。
 p183
 田舎の教師を三度も辞め、妻に侮られる「人格主義者」の道也先生は、帝大文学部を出たばかりの高柳君に言う。「昔からなにかしようと思えばたいがいは一人ボッチになるものです。妻にまで馬鹿にされることがあります。しまいに下女までからかいます。苦しんだのは耶蘇や孔子ばかりで、偽文学者はその耶蘇や孔子を筆の先でほめて、自分だけは呑気に暮らしていけばいいのだと考えているのですよ。」
 じつは、今は苦しいがもう少したてば喬木に移るときがくると、おめでたい高柳君はこれまで、道也先生の「人格追求の道」に絹糸ほどの細い望みをつないでいたのである。
 p201
 高柳君にとって愛は真面目である。真面目であるから深い。同時に愛は遊戯である。遊戯であるから浮いている。深くして浮いているものは水底の藻と青年の愛である。要するに、高柳君は、「生きているだけ」を厭う人である。