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夏目漱石 「こころ」(岩波文庫)1/2

 疑心は、心中に鬼の跋扈を許す利己系の感情である。しかし、ひとがさまざまな人間関係の葛藤の中にあって、自分の立ち位置を決めかねるとき、とりあえずの足がかりを見つけるのに役に立つ感情でもある。相手の優位(らしい)ポイントとそれに対応した自分の劣位(らしい)ポイントを大小隈なく数え上げ、そのうえで自分にとって最大のリスクだけはヘッジできるような手段をあらかじめ講じておく・・・・・。それがしばしば非生産的な自己嫌悪のピットフォールに陥るのはやむをえない。
 こころ清く、疑心の少ない人は、こうした感情にマイナスの価値しか見いださない。だから、自分にとって大きなリスクがかかった場合も、それをあらかじめヘッジしておく利己感情を、正面きって行為に移すことができないことがある。
 『こころ』は、この疑心が、「他者に向かう」負の感情としてだけでなく、それが結果的に自責の念となって「自身に向かう」負の感情でもあることを、漱石好きの人にはおなじみの暗い雰囲気の中で描く。
 <先生>は元来、腹の底から倫理的な人である。その<先生>が「私は人に欺かれたのです。しかも血の続いた親戚のものから欺かれたのです。私の父の前には善人であった彼らは、父の死ぬや否や許しがたい不徳漢に変わったのです。・・・そして、欺かれた私は彼らを憎むばかりじゃない、彼らが代表している人間というものを憎むことを覚えたのです」(p80)
 元来がまじめな人だから、<先生>は『こころ』の<語り手>にも同じまじめさを要求する。「私は過去の因果で、人を疑りつけている。しかしどうもあなただけは疑りたくない。・・・あなたは腹の底から真面目ですか」(p82)
と言って、<語り手>を同じ穴に引きずり込む。

 「一口でいうと、叔父は私の財産を誤魔化したのです。ことは、私が東京に出ている三年の間に容易く行われました。・・・親の遺産としては固より非常に減りました。・・・けれども学生として生活するにはそれで十分以上でした。実をいうと私はそれから出る利子の半分も使えませんでした。この余裕ある私の学生生活が私を思いも寄らない境遇に陥れたのです」(p161)
 「思いも寄らない境遇」とは、下宿人の分際で下宿先のお嬢さんを好きになってしまうことだった。下宿先の奥さんは少し経済に困っている様子だったので、親の財産を掠め取られたとはいえ、学生としては充分な資力を持っていた<先生>を歓迎した。
 「どうしてそこのお嬢さんを好く余裕をもっていたのか・・・、私は金に対して人類を疑ったけれども、愛に対しては、まだ人類を疑わなかったのです。だから他から見ると矛盾したものでも、疑りと愛は私の胸の中では平気で独立していたのです」(p170)
 <先生>はまだ十分に若く、利己心の醜さを見せつけられることになる自分の運命の兆しが、すぐ眼の前に控えているのだとはもとより気がつかなかった。
 「と、下宿宅の奥さんとお嬢さんと私の関係がこうなっているところへ、もう一人の男Kが入り込むことになりました。・・・自白すると私は自分でその同郷のなかよしの男を下宿宅へ引っ張って来たのです。(p185)
 「奥さんもお嬢さんも、実家が真宗の寺で、哲学性行のあるKのことを取り付く島のない人だといって笑っていました。しかし、私は、夏休みになっても、K一人をここに残してどこかへ行く気にはなりませんでした。私はKとお嬢さんが段々親しくなっていくのを見ているのが、余り好い心持ではなかったのです。私のKに対する嫉妬は、そのときにもう充分萌していました。(p207)
 「Kは、私のお嬢さんを愛している素振りには、まったく気がついていないように見えました。無論私も、それがKの目に付くようにわざとらしくは振る舞いませんでした。Kは持って生まれた頭の質は私よりもずっとよかったのですが、元来そういう点にかけては、鈍い人なのです。(p209)
 「ある日、私はKと往来ですれちがいました。するとすぐ後ろにお嬢さんがいたのです。私はKに向かってお嬢さんと一緒に出たのかと聞きました。そうではない、真砂町で偶然出会ったから連れだって帰ってきたのだとKは説明しました。食事のときお嬢さんに同じ質問をしました。するとお嬢さんはすこし蓮っ葉な笑い方をして、どこへ行ったかあててみろと、しまいに言うのです。お嬢さんの態度となると、知ってわざと遣るのか、知らないで無邪気に遣るのか、その区別がちょっと判然しない点がありました。(p221)