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内田樹 「街場のアメリカ論」(文春文庫)2/2

 アメリカの戦争経験
 p123
 アメリカは戦争はたくさんしているけれど、戦死者数は少ない国である。第二次大戦では世界中の戦死者は七千万人とされているが、アメリカの戦死者は二十九万人。対して日本の戦死者は三百万人。
 戦死者では圧倒的に少ないにもかかわらず、アメリカ人が第二次大戦について強い被害者意識を持っているのは、たぶん「ホロコースト」で六百万人のユダヤ人が死んだことが関係している。しかもメディアの多くはユダヤ系だから、実数よりはるかに多くの戦死者がアメリカ人の「実感」として記憶されているのだろう。
 真珠湾攻撃東京大空襲はどちらも空襲による一日だけの出来事だ。アメリカ市民にどちらの被害が大きかったかと聞けば、アメリカの被害のほうが大きいとたぶん答えるだろう。
 実際は真珠湾の死者は三千人。東京大空襲は十万人である。そして二発の原爆は、第二次大戦でのアメリカの全死者数よりも多い三十万人(そのほとんどは非戦闘員)を殺した。
 アメリカはつねに実際の損害に比べて強い被害者意識を持つ傾向にある。そして、自国民の死者のためには必ず報復をするし、自国軍が殺傷する他国民についてはあまり(ぜんぜん)気にならないようである。
 p133
 9・11後のアメリカの軍事的パフォーマンスは、圧倒的なパワーにもかかわらず所期の効果をあげていない。それは、アメリカが敵対している勢力が古典的な意味での「国民国家」ではないからである。「国民国家」は地理的に固定された存在であるため、ミサイルに狙われれば逃げ隠れできない。しかしいまの「テロリスト」たちは地理的に存在を特定できず、ただ機能的にのみ存在する「アモルファス」軍団である。
 アメリカで次のテロがあった場合、その犯人たちがもし「アメリカ市民」であったら、アメリカは深い混乱のうちに沈むだろう。近代国家アメリカは、「近代国家以外」の政治単位を相手とする戦いにうまく対応できないからである。ヴェトナムに敗れ、イラクでは撤退させられ、アフガニスタンでも勝ち目はない。
 p134
 アメリカは遠からず没落するだろう。避けがたい流れである。しかし、アメリカにはできるだけゆっくりと没落していってもらいたい。急激に没落していくことで世界が受ける衝撃は測定不能だからである。いかに周囲を巻き込まないで、静かに滅んでもらうかということを、ヨーロッパとアジアは考え始めてもいい。そんな「猫の首に鈴をつける」ような芸当は、やってくれるとしたらフランス人か中国人しかいないだろうが。
 子供嫌いの文化 p143-61
 日本におけるフェミニズムの先駆的な形態だったウーマン・リブは七○年代にアメリカから入ってきたものだが、ウーマン・リブが画期的だったことのひとつは、ウーマン・リブ世代の母親たちが「子供がかわいくない」とカミングアウトしたことである。
 敗戦直後に書かれた太宰治の『桜桃』に「子供より親が大事と思いたい」という有名なフレーズがある。このフレーズがいまだに人口に広く膾炙しているのは、実はこのフレーズが日本人にとってはたいへん挑戦的な意見表明だと受け取られたからだ。
 そこに、ウーマン・リブは、「子供がかわいくない」、「配偶者を愛していない」「親が嫌いだ」という、それまで公言がはばかられていた言葉を堰を切ったように語り始めたのである。
 フェミニストが正しくも言うとおり、「親よりも子供が大事」というのは決して自然な感情ではなく、社会的に規制されたイデオロギーだったのだ。ただいま現在でも、少なくとも大メディアでは、「子供より親が大事と思いたい」とはタブーである。
 福音の呪い・・・・・
 (トクヴィルが名著『アメリカのデモクラシー』で教えてくれていることだが)、アメリカにおける政教分離とは、宗教が政治的影響を忌避したという意味ではない。
 アメリカは四年ごとに大統領、二年ごとに議員の半数、一年ごとに地方行政官を入れ替え、権力の腐敗を防ぐ統治システムを採用している。このめまぐるしく権力の所在が変わる国にあって、特定の政治勢力に宗教が固定的に結びつくことは、得るものより失うものの方が多いのは当然である。
 ブッシュのイラク侵攻には、政治的理由よりも彼の熱烈な福音主義信仰上の理由の方が大きいのではないか、もしかすると黙示録的な「騎士」のセルフ・イメージが彼にあるのではないかということがずっと言われてきた。
 もしそうだとすれば、「政教分離」を進め、すべての政治勢力に等しく祝福を贈り、ブッシュの霊的威信の保証人の座を確保した福音主義派教会の手腕は見事というほかない。

 二、三日前、アメリカ・コネチカット州の小学校で二十六人が殺されたライフル乱射事件で、(何派かは知らないが)プロテスタントの牧師がTVインタビューに応じて語っていた。 「この事件は、犯人の精神の深いところで起きたのであって、すべては彼の自己責任範囲内にある。神に関連した事柄ではない。」 もうアメリカは、滅んだ方がいい。