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内田 樹 「日本辺境論」(新潮新書)1/2

 きょろきょろする日本人
 p23
  日本人には、もちろん自尊心はあるけれど、その自尊心の反面に、ある種の文化的劣等感がつねにつきまとっています。それは、サイエンスや芸術作品など、個別の文化指標の評価とは無関係に、なんとなく国民全体の心理を支配している、一種の影のようなものです。私たちは、「ほんとうの文化は、どこかほかのところでつくられるものであって、自分のところのは、なんとなく劣っている」 という意識を共有しています。
 丸山真男はこんなふうに書いています。 「日本の体系的な思想や教義は、古来から外来思想である。けれども、それが日本に入ってくると、一定の、それもかなり大幅な<修正>を受ける。外来思想から<日本的なもの>をまとめて思想や教義として取り出そうとすると必ず失敗するのだが、その<外来思想の修正>のパターンを見ると、そこには共通した特徴がある。」
 「もともと日本の自前のものと外来の<修正箇所>を、どれほど丁寧に合わせ繋いでも、できあがったものは完結したイデオロギーにはならない、という特徴である。考えれば、土着のシャーマニズムアニミズムを、仏教儒教キリスト教で修正し、いちばん新しい帝国主義で化粧をしても、完結したイデオロギーにならないのは当たり前のことである。すなわち、漢字や仏教儒教の受容から西洋帝国主義の模倣まで、日本人が外来思想を受け入れるときの規準は<新しいものであること>だけだったのではないか。」
 「これは<高級>な思想のレベルでなくて、生活方面の精神的態度としても同じである。私たちはたえず“きょろきょろ”と外を向いて、新しいものを世界に求めながら、そういう“きょろきょろ”している自分自身は一向に変わらない。」
 「オレはきょろきょろなんかしていない。自分のスタイルを貫いている」と目を三角にして抗議する方がいるかもしれません。丸山さんは、そういうふうに誰かが「日本人とは・・・・・・」というとすぐに反応してしまう態度のことを「きょろきょろ」と言っているのです。
 p37
 他国との比較を通じてしか自国のめざす国家像を描けない。国家戦略を語れない。よその国の事情はひとまず脇において、自国の文明・文化だけのヴィジョンを語ろうとすると、自動的に思考が停止してしまう。これが日本人の際立った特徴です。
 ・・・・・・ひと昔前に、高校生に日本国憲法を書いてもらうというコンクールがありましたね。応募作のひとつに「そこそこの国」が理想ですと書いたものがありました。こういう言葉遣いをする国民は日本人しかいません。
 右の端には「あの国」があり、左の端には「この国」があり、その間のどこかに自分の国のポジションがある。そういう言い方でしか自国の立ち位置を言うことができない。このことは、ポリシーがないとか毅然としていないとか、そういうことではありません。日本は「本態的に」そういう国だということです。
 日本国国歌「君が代」についての議論についても、丸山真男の“きょろきょろ”はぴったりあてはまります。「君が代」の歌詞は古今和歌集所載の雅歌を原型とするものですが、最初に曲をつけたのはイギリス公使館の軍楽隊長だったジョン・W・フェントンという人でした。それが洋風の音階で歌詞となじみが悪いとして、宮内省雅楽奏者によって改作され、ドイツ人フランツ・エッケルトが編曲した。
 そもそも、フェントンが、ヨーロッパには国歌というものがどこの国にもある、日本だけないのはまずいとアドバイスしたのが国歌制定のきっかけでした。「世界標準ではこうなっているから」とフェントンにアドバイスされて国歌なるものが誕生した。外交上の必要から国歌は制定されたのです。たんなる外圧の結果なのです。ことの順序を間違えてはなりません。
 多くの「愛国者」の方々が、憲法九条は外圧の産物だから廃棄せよといわれますが、そのかたがたの愛してやまない「君が代」も、歴然たる外圧の産物なのです。(p113)
 p43
 丸山真男は、おのれの思想と行動の一貫性よりも、場の親密性を優先させる態度、とりあえず長いものに巻かれてみせ、自分の受動的なありようを恭順と親しみのメッセージとして差し出す態度を、有名な「超国家主義の心理」として定式化しました。
 日本の軍人たちは、(翼賛したすべての政治家もまったく同じですが)首尾一貫した政治イデオロギーでなく「究極的価値たる天皇への相対的な近接の意識」に基づいてすべてを整序していた、 というのが丸山真男の解釈です。「かれらの行為を制約していたのは少なくとも第一義的には合法性の意識ではなく、より優越的地位に立つもの、つまり天皇の存在である。ここでの国家的社会的地位の価値規準は、その社会的職能よりも、天皇への距離にある。」