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ラス・カサス 「インディアスの破壊についての簡潔な報告」(岩波文庫)

 一四九二年のコロンブスの新大陸発見以後、スペイン人はカリブ海・南米北部・フロリダなどで先住民の惨殺、金銀や食料の掠奪に悪逆のかぎりを尽くした。その無法ぶりを描いた「古典」である。
 著者ラス・カサスはスペイン国王カルロス五世の忠実な官僚司教であり、この書はラス・カサスの現地視察報告書である。「多数の無法者が国事に忙殺される陛下の目を盗み、陛下の土着住民を数え切れないほど殺害し、陛下のはかり知れない財宝を奪い、広大無辺の土地を全滅させている」ことを悲憤慷慨している。
 時代はちょうど、ドイツでルターの宗教改革が始まったころ。プロテスタントの攻撃にさらされるカトリック擁護がこの『報告』背景にあることはいうまでもない。が、この書の場合、植民地を食い物にする「暴徒」を憂うラス・カサスの国王への忠誠心が、かえってルター側に塩を送ることになるという皮肉な結果を呼んでしまった。
 この『報告』が刊行された一五五二年はちょうどスペインが全盛期を過ぎようとしていた時代である。ヨーロッパ各地で反スペイン感情が高まろうとしていた。その情勢の中でこの書の公刊はラス・カサスの予想もしなかった方面に激しいスペイン批判の武器を提供することになり、「スペインの新大陸支配とはカトリック布教に名を借りたたんなる略奪行為である」という、他のヨーロッパ諸国のプロパガンダをみずから認めることになってしまった。
 この『報告』は、十六〜十七世紀中にはオランダ語、フランス語、英語、ドイツ語、ラテン語で訳出が続き、当時のヨーロッパでスペインが次第に勢力を弱めていくことに手を貸すことになってしまった。十九世紀になると、南米各国の独立運動アメリカ合衆国独立戦争に際して、この書は「無道なスペイン支配からの脱却」という大義発揚に利用された。
 この書が「カトリック司教という立場」の限界内で書かれたにもかかわらず、著者ラス・カサスが嘆く同胞スペイン人の無法ぶりはすさまじい。実態は、ここに書かれたことに数倍していたに違いない。宗主国側に立つ人間は、彼らの個人的資質がどうあれ、文化的下位にある人間に対してここまで残虐になれる。このことをこれほど「簡潔」に描いたものは少ない。

 p25
 キリスト教徒のスペイン人たちはインディオたちに平手打ちや拳固をくらわし、棒で彼らを殴りつけ、村々の領主たちにも暴力を揮うようになった。口に出すのも恐ろしくて恥ずかしいことであるが、ある司令官は島で最大の権勢を誇る王の后を強姦した。
 この時からインディオたちはキリスト教徒たちを自分たちの土地から追放しようといろいろ策を練り始めた。彼らは武装はしたものの、武器といえばまったく粗末なもので、攻撃を加えるのにほとんど役に立たず、といって防御に役立つかといえばなおさらそれもかなわないといった代物であった。したがって、インディオたちの戦いはスペインにおける竹槍合戦か、子供同士の喧嘩とあまり変わりがなかった。
 キリスト教徒たちは馬に跨り、剣や槍を構え、前代未聞の殺戮や残虐な所業をはじめた。彼らは村に押し入り、老いも若きも、身重の女も産後間もない女もことごとく捕え、腹を引き裂き、ずたずたにした。
 彼らは、誰が一太刀で体を真っ二つに斬れるかとか、誰が一撃のもとに首を斬りおとせるかとか、内臓を破裂させることが出切るかとか言って賭けをした。彼らは母親から乳飲み子を奪い、その子の足をつかんで岩に頭を叩きつけたりした。
 さらに、彼らは足がようやく地につくぐらいの大きな絞首台を作り、こともあろうに、われらが救世主と十二人の使途を称え崇めるためだと言って、十三人ずつその絞首台に吊るし、その下に薪を置いて火をつけた。こうして、彼らはインディオたちを生きたまま火あぶりにした。
 ふつう、彼らはインディオたちの領主や貴族を次のような手口で殺した。地中に打ち込んだ四本の棒の上に細長い棒で作った鉄灸のようなものをのせ、それにインディオたちを縛りつけ、その下でとろ火を焚いた。すると領主たちはその残虐な拷問に耐えかねて悲鳴をあげ、絶望し、じわじわと殺された。
 一度、私は頭株の人たちや領主が四、五人そうして火あぶりにされているのを目撃した。インディオたちは非常に大きな悲鳴を上げ、司令官を悩ませた。そこで残虐な死刑執行人は、大声を立てさせないよう、彼らの口に棒をねじ込み、火をつけた。結局、インディオたちはキリスト教徒たちの望みどおり、じわじわと焼き殺されてしまった。
 p129
 わがスペインの国王陛下は、神と国王の敵である無法者たちがそれらの地方を破壊し始めてから十六年間のあいだに、その地から二○○万カステリャーノを超える収入を手に入れられるはずであった。しかし国王は彼らのせいでその莫大な収入をふいにし、失われてしまった。
 もし神の奇跡により、なくなった数百万ものインディオたちが甦らなければ、これ以後世が果てるまで、その損失を取り戻せる望みはまったくない。しかしそれは国王がこうむられた現世の害に過ぎない。神とその教えに対し一体どれほどの害、不名誉、冒涜、恥辱が加えられたことであろうか。
 p134
 フロリダでスペイン人たちは大きな町をいくつも発見したが、そこの住民は非常に姿かたちよく、思慮深く、しかも礼儀正しく規律を守る人たちであった。しかしスペイン人たちはそこに侵入したとき、いつものように、彼らに恐怖心を植え付けるために大虐殺を行った。
 はじめインディオたちはスペイン人たちを歓んで迎え、食べきれないほど多くの食事を差し出したのだが、それにもかかわらず馬の世話役や荷物の運搬役として六百人以上を徴発された。そのときはそれで済んだのだが、続いてやってきた札付きの無法者の所業はひどいものだった。
 その無法者が出頭を命じたのか、それとも怯えたインディオたちがすすんでやってきたのか、いずれにせよ札付きの無法者は部下に命じて二百人以上のインディオの鼻から口ひげまで唇もろとも削ぎ落とし、のっぺらぼうにした。そのあげくスペイン人たちは、血を流して苦しんでいるその哀れなインディオたちをほかのインディオたちのところに行かせ、カトリック伝道師が日ごろ行っているように神の奇跡の業を述べさせたのである。
 p149
 ペルーではスペイン人たちは、われわれ神父が計算した数の何千倍もの人々を破滅に追いやり、絶滅させた。彼らは神と国王を畏れず、無慈悲にも人類の大部分を破滅させた。今日にいたる十年の間に、彼らはそれらの王国に暮らしていた四百万人以上のインディオを虐殺したのだし、いまこのときも殺戮は続けられている。