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半藤一利 「日本型リーダーはなぜ失敗するのか」(文春新書)

 p43
 戦争であれビジネスであれ 「戦いのキーマンは参謀である」 という日本型リーダーシップの発祥は明治初年の西南戦争にあります。少なくとも、「リーダーは誰なのか」ということが問われる近代の国民国家になって以降では、西南戦争での指揮系統のあり方がいちばん参考になります。
 官軍の「総督」は有栖川宮親王が任命され、陸軍中将山県有朋と海軍中将川村純義が参謀として就任しました。山県有朋足軽よりももっと低い階級の出身ですが、奇兵隊を率いて英仏相手に下関戦争も戦い、戊辰戦争では長岡城攻防も経験した生粋の軍人です。
 戊辰戦争のときも総大将となった有栖川宮の役どころは、「指揮官」というよりまさに「ミカドの名代」。官軍が自らの正統性を示すにはおごそかなる権威こそが重要で、参謀長と幕僚がしっかりしていれば戦はうまくいくと考えられました。
 西郷軍は当時の日本最強の軍隊でした。戊辰戦争に勝って明治維新を実質的に成しとげたのは薩長の軍事力ですが、なかでも薩摩陸軍の軍事力は圧倒的でした。西南戦争時の西郷軍は、兵力一万三千、小銃一万一千、大砲六十門と、当時としては堂々たる大軍でした。
 しかもその兵力はほとんどが維新のつわもの、いわば職業軍人です。対して官軍の兵隊は徴兵令によって集められた農民、商工民の次男、三男が中心。兵力こそ薩摩軍に数倍していましたが、兵隊としての練度ではきわめて不十分でした。
 したがって、有名な「田原坂の戦い」を初め、戦闘は激戦が続き、官軍は辛うじて勝利することができましたが、政府軍の戦費は膨大なものになりました。明治十年の国家財政支出が四千八百万円余ですが、戦費はじつに四千百五十万円余にもなりました。西南戦争は、歴史の教科書に数行書かれていただけのような、不平士族のたんなる反乱ではありません。まさに、国家を二分する「内乱」だったのです。「正史」は必ず「反乱軍」を貶め、こともなげに勝ったような書き方をするものです。
 p47
 このある意味、関が原以上の内乱を、山県有朋と川村純義が参謀としてなんとか戦い抜いたことで、明治政府と帝国陸海軍の「リーダーシップ」についての考え方は決定づけられました。総大将は戦いに疎くても参謀さえしっかりしていれば大丈夫、という考えです。
 そしてこの考え方は、いつのまにか、参謀さえしっかりしていれば、総大将はお飾りであるほうが、むしろよい。トップが戦いに疎く、お飾りである方がナンバー2以下が仕切りやすいという、日本独特の「単独のリーダーシップ不要」論の方向にねじれて行ってしまいました。今も、官僚、ビジネス社会で不祥事があるたびに、TVでぺこぺこしながらあまり真剣に反省していそうにない「複数のリーダー」がみっともなく映っていますね。
 p80
 昭和になって以降の陸軍には、「大本営派遣参謀」というとんでもない役職がありました。中央の参謀本部から戦いの現場に直接派遣される参謀です。旧ソ連軍にあった「政治将校」と同じ役ですね。
 冷戦時代、米ソの軍隊が小競り合いするハリウッド映画には必ずこの「政治将校」がクレムリンからの監視役として出てきて、現場の司令官を悩ませます。兵士たちは自分たちの司令官と陰険なクレムリン派遣の政治将校の葛藤に気をとられて、作戦遂行がつい遅れがちになる。そしてその隙を突いたアメリカ軍にラストシーンで見事にやられてしまう・・・・・・。

 旧日本軍でも「大本営派遣参謀」というのはまことに厄介な役職で、戦闘の現場で、参謀総長の身代わりとして命令を発することができた。本来参謀とは指揮官に対する発言権は認められていたとしても、部隊の指揮権は持たないものです。しかし、西南戦争山県有朋たちが作った「参謀本部条例」によって、旧日本軍の「大本営派遣参謀」は、前線司令部においては参謀総長の名代となることを制度として許していた。
 「これが大元帥陛下のお考えである」といわれたら、現場の司令官がそれを潰せるはずがありません。遠くはなれた東京で練った、戦況の変化にまるで合わないトンチンカンな作戦が派遣参謀によって進められたのです。
 無論、そうした作戦は敗北に終わることが多かった。しかも参謀には、「参謀本部条例」の制度上、責任が問われませんから、軍法会議にもかからないし、左遷すらされません。すべては「時に利あらず」で済まされ、敗戦の責任は現場の司令官が自決して負ったのです。

 この派遣参謀のなかでもっとも有名なのは辻正信中佐でしょう。ノモンハン事件シンガポール華僑虐殺事件、バターン死の行進ガダルカナル島の戦いなど、日本軍を破滅に導いた無謀な作戦の裏には必ずといっていいほど辻正信のスタンドプレーがありました。
 辻正信は石原莞爾とともに旧軍部の「派遣参謀」制度が生んだモンスターですが、小型の辻正信なら、旧大蔵省にも文科省にも建設省にも通産省にもゴロゴロいます。大きな会社にも山ほどいます。芸能界、茶・華・武道界にも、そしてスポーツ界にもたくさんいます。なにしろ辻正信はGHQから「第三次世界大戦さえ起こしかねない男」と危険視されてもいたにもかかわらず、戦後、参議院に一回、衆議院に四回も当選した「国民的英雄」だったのですから。そうした「代理=実権=責任回避」制度の「無限の入れ子社会」が、わが日本の「民主主義社会」なのですから。