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内田 樹 小田島隆 平川克美 町山智浩 「9条どうでしょう」(ちくま文庫)1/2

 内田 樹・小田島隆平川克美町山智浩の「お友だち」四人が、憲法九条の改正問題について、対談ではなく、各人一人ひとりが思い思いに所論を述べたという、一風変わった構成の本である。(町山智浩は、見るべきものがなかったので割愛した。)
 内田  「憲法がこのままで何か問題でも?」
 日本「去勢」は勝者として当然の選択だった
 p36-7
 日本政府が東京湾の戦艦ミズーリ上で連合国九カ国との降伏文書に調印したとき、ミズーリにはペリー提督の旗艦ポーハタン号が掲げていた星三十一個の星条旗が掲げられていた。ペリーの「砲艦外交」から百年を経て、アメリカは「誰が主人か」を日本人に思い知らせるために、この小道具を持参することを忘れなかったのである。
 調印式のとき、東京湾の空は、戦闘機一五○○機に護衛されて威嚇的に低空飛行するB29四○○機に埋め尽くされた。完全な敗北感のうちに日本人を叩き込み、二度とアメリカと戦うというような無謀な夢を抱かないまでに「去勢」することこそ、この演劇的な舞台装置のねらいだった。
 占領政策が抑圧的だった事実をとらえて、これを不当であり、ひいては憲法を「押し付けた」と言う人たちがいるが、いまさらそんなことを言ってもはじまらない。戦前、戦中の特高憲兵の横暴を思うならば、リベラル派や左翼に対するアメリカ占領軍の迫害は、とくに苛烈だったわけではない。自分がその立場になったらしそうなことを他人が自分に対してした場合に、「人倫に悖る」として泣訴しても仕方がない。
 p46・50
 憲法九条と自衛隊はアメリカが日本を従属国化するために採択した政略である。その点についてアメリカ政府の施策は無矛盾的である。このアメリカ政府の首尾一貫性に対応するかたちで日本政府が政略を立てるとしたら、それは「従者としての安全と幸福のうちに生きる」というものでしかない。
 すなわち憲法九条に象徴されるすべての「対アメリカ無害化」政策を甘受し、それを自らの喜びとするような国になること。それと同時に、(すべての軍事シミュレーションをアメリカ製のソフトウェアで行うというような)自衛隊の軍事的「従者」化政策を受け入れ、「アメリカにとって有用であること」を自らの喜びとするような国になること。
 日本は「そのような国」として世界中から見られている。そして日本人は「そのような国」として見られていることを「知っているけれど、知っていることを知りたくない」のである。
 「普通の国」になるとはどういうことか
 p62
 仮に改憲案が衆参両院の三分の二以上で発議され、国民投票過半数の支持を得たとする。その後の耐え難い現実を、その三分の二以上の議員、過半数の国民は直視できるだろうか。
 憲法九条を廃止しても、軍事をめぐる情勢は今と少しも変わらない。憲法九条をしたその後も、依然として自衛隊の軍事行動は一から十まで米軍の許諾を得てからしか行われない。アメリカは日本の主体的軍事行動を決して許さない。
 アメリカは九条の廃止を黙認するだろうが、その引き替えに、日本の国防予算を増額し、その過半をアメリカ製の高価な武器の購入に充当することを要求するだろう(あの年次改革要望書によって)。これまでのような「後方支援」のかわりに、アメリカが始めた戦争の前線に駆りだして、「戦死する権利」も自衛隊員に与えるだろう。もっとも無意味な作戦の、もっとも兵員消耗の多そうな戦場になら、自衛隊の派兵を提案してくれるだろう。
 そのとき、「憲法九条さえなくなれば、日本は誇り高い自主防衛の国になれる」という、六十年間嘘だとわかりながら自分に向かって告げ続けてきた嘘の決着をつけることを、日本人は求められることになる。
 p66
 「憲法九条は空文である」ということを改憲派の諸君はよく言われるが、「日米安保条約は空文である」と主張される人のあることを、寡聞にして知らない。ということは改憲派の諸君は、国難のときに安保条約は機能すると考えているということである。
 だがそうすると、その上で「北朝鮮が攻めてきたら、九条を改訂していないと、日本は占領されてしまう」と主張するのは、「安保条約は機能しない」ということであって、アメリカに対してずいぶん失礼な物言いではあるまいか。先日も、尖閣問題で「尖閣諸島日米安保条約の担保地域である」と確認がされたばかりである。このことと九条廃止=普通の自主防衛国化にはどんな整合性をつけるのか。
 p68
 万が一、日米安保が機能しないで、日本が侵略された場合はきわめて不幸な未来が待っている。それはアメリカが日本=同盟国を永遠に失ったことを意味するからである。数千、数万の日本人が死傷し、財産が奪われ、領土が分断された場合、あとに残った日本人はどうするだろう
まちがいなく、彼らは二度といかなる安全保障条約も同盟関係も信じず、自国の防衛は自国民の手でしかなしえないということを、民族の教訓とするだろう。 私ならそうする。
 日本の経済力と集団組織とテクノロジーと知的ポテンシャルのインフラの上に憎悪に満ちたナショナリズムが乗ったとき、日本がどんな国になるのか、想像するのはむずかしいことではない。ナチス第三帝国を機能的にヴァージョンアップして、大日本帝国をもっと冷酷にしたような排外主義的な国民国家ができあがるだろう。
 それは、その中で生きなければならない日本国民にとって不幸な国家体制であると同時に、世界にとっても不幸な国家体制である。
 p70
 だから、憲法九条のようなものをもっており、日米安保条約のようなものを持っている国を侵略してはならない。もしそのとき侵略され、安保条約が機能しなかったら、日本はいかなる理想論も信じない歴史上最悪のリアリストになってよみがえるだろう。それは世界にとっての悪夢なのである・・・・(との私の受け売り話を聞いた九条擁護主義者の妻が、今朝、「昨晩、自分が悪魔になったような夢を見た」と教えてくれた)。