アクセス数:アクセスカウンター

内田 樹 小田島隆 平川克美 町山智浩 「9条どうでしょう」(ちくま文庫)2/2

 田島隆 新しい国家の条件
 p164-7
 実際の話、日本国憲法における「日本」が、主権国家の体をなしていないというのは、ほぼその通りだ。が、そもそも「主権国家」が十九世紀的な概念であることに思い至るなら、二十世紀の半ばに出発した人工的な国家である日本国が、それまでの「主権国家」とは違った相貌を持って生まれてきたことは、むしろ当然ですらある。
 改憲論者たちは「日本人には、国のために死ぬ覚悟があるんだろうか」と言っている。
 では言うが、論者たちのいう国とは、具体的には何を指しているんだ?国土? 国民? それとも国家という概念? まさか「国体」じゃないよな?はっきりさせてくれ、なにしろこちらは命がかかっているんだ。
 もうひとつある。国のためという時の「ため」は、実質的にはどういうことなんだ? 版図の拡大? あるいは「国際社会における誇りある地位」とか、そういったたぐいの話か?

 平川克己 普通の国の寂しい夢
 p235
 改憲論者たちに聞きたいのだが、憲法が現実と乖離しているから、現実に合わせて憲法を改正すべきであるという理路の根拠は何か? もし、現実の世界情勢に憲法を合わせるのなら、憲法はもはや法としての威信を失うだろう。
 憲法はそもそも、政治家の行動に根拠を与える目的で制定されているわけではない。変転する現実の中で、政治家が臆断に流されて危ない橋を渡るのを防ぐための足かせとして、制定されているのである。
 当の政治家がこれを、現実に合わないと言って批判するのは、盗人が「刑法が自分の活動にさしさわる」と言うのに等しい。・・・・その限りでは、法をないがしろにする人たちの社会では、「法」は現実に合わない「理想論」なのである。
 歴史の教訓が教えているのは、「現実」はいつも陰謀と闘争の歴史であったということではない。戦争そのものを否定するという迂遠な「理想」を軽蔑するものは、軽蔑されるような「現実」しか作り出すことができないということである。