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赤坂真理 「東京プリズン」(河出書房新社)

 敗戦が最初からほぼ確実だったにもかかわらず突入した太平洋戦争に関連させて、日本人の、日本国家のアイデンティティはどういうものなのかを問うている。
 ただ小説としての「物語」性がとても難解なのが困る。時制が頻繁に入れ替わり、「私」が話していると思うと、十五歳の私をアメリカに追い出した「ママ」に話し手が突然変わったり、続く話の中で、「私」はじつは東京裁判で資料の下翻訳をしていた「ママ」その人であったりする。特に「私」の夢の中では混乱がひどい。物語のメインストリームと関係ない場合には、(つまらぬことでわざと読者を混乱させて、と)思わず舌打ちが出る。
 「私」のアイデンティティを問い詰めるとき、それは必ず個人―祖先―人類―哺乳類―生命一般という「生命のつながり」に言及せざるをえない。それはいいのだが、本作品ではそのことが、アメリカの軍隊好き少年が撃ち殺した子供のヘラジカと「私―生命一般」 のつながり何度も何度も語られる理由になっている。読者は少々うんざりさせられる。アメリカは十七歳でライフルが扱える国家なのだし、元来が狩猟民族なのだから、「植物系人間」の日本少女がぼやいてもどうなるものでもなかろうに。
 この本のサワリである 「天皇には太平洋戦争に対して責任があるか」のディベートは面白かった。ディベートはロール・プレイイング・ゲームなのだから、演者の本心とは関係なく、振られた役割を演じ続けなければならない。ディベートの場は、依頼人を「クロ」と思っても「シロ」と弁護し続けなければならない、「論理」の世界である。「論理」ではなく「本心」だけが「信実」であると教えられてきた日本人として、ディベートのルールを知らなかった私は、別の意味でも目を開かされた。
 以下、責任肯定側と責任否定側の意見をいくつか。

 A 「天皇は退位すべきであった」とする側 
 1 天皇は、天皇大権といわれる特別な権限を持ち、帝国憲法天皇大権を保証していた。天皇は陸海軍の統帥権を持ち、日本の最高責任者であり国民に絶対の影響を持っていた。
 2 戦争に負けたのは、いい。しかたがない。だけれど、自分を負かした占領軍に、相手がびっくりするほど、男を迎える女のようにサービスした。それは娼婦の行動だ。続く世代は混乱する。誇りがなくなってしまう。
 3 日本の中学校では、近現代史に触れることは暗黙の、公然たるタブーである。事実は載せないわけにはいかないので、教科書に載ってはいる。けれどもどこの学校でも、カリキュラムは卑弥呼から始めて明治維新あたりで時間切れになるようになっている。文部省、教育委員会、学校間のこの連携は見事というほかはない。
 4 軍服を着て軍馬に乗る天皇というのは、明治天皇まで絶無である。それまでは、実は女装の歴史の方が長いと言えるほどだ。鳥をめでたり、恋のうたを詠んだり。戦いで前線に立つのは常にはるか下位のサムライであり、天皇自身は花を愛し、歌を詠んで子孫づくりのためのディスプレイ行動だけをしていた。こういう男(ないしは機関)が戦争を指導し、国民を疲弊させたのだから、こういう男(ないしは機関)は消滅しなくてはならない。
 B 「天皇には責任がない」とする側
 1 インドのパル判事が述べた有名な意見のように、東京裁判は、戦争が起きたときにはまだなかった「平和に対する罪」という法律によって裁こうとする裁判だから、無効である。法には法の原理がある。出来事が起きたときに存在しない法律でもって、以降に起きた出来事を裁くことはできない。
 戦争、戦争の計画・準備をするための共同謀議への参加――これらのものはすべて「平和に対する罪」とされたのだが、これは第二次大戦の勝者が、世界裁判史上初めて発明したものだ。後出しじゃんけんもいいところではないか。
 2 帝国憲法天皇大権を保証しているということは、天皇憲法の範囲内に統治権を制限されているということでもある。つまり「天皇は国の元首にして統治権を総覧し、この憲法の条規によりこれを行う」とあるが、天皇憲法のどちらが上位にいるのか、帝国憲法には明らかに矛盾がある。
 3 軍部は憲法に規定された『輔弼』という曖昧な概念を活用して、この矛盾を突いた。天皇は、だから、自らの地位を保証するかに見えた帝国憲法の犠牲者なのだ。
 4 真珠湾が騙し討ちでなかったことは、一九四八年に判決として確定している。『開戦は通告から一定の期間を置く』というハーグ条約の条文そのものが、どれくらいの期間を置くべきなのかを明記していない。よって条約の構造自体に問題があった。よって真珠湾攻撃は騙し討ちではなく、手違いの事故である。
 多くの書評に取り上げられた小説だった。ただし、この作品には村上春樹がよく使う「繭」とか「リトルピープル」とか、「天皇はなんでも入る空っぽの器なのだ」という常識化している言い回しがなんども出てくる。創造力のオリジナリティを疑わせる大きな瑕疵である。キー概念の無断借用はまことによろしくない。