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福岡伸一 「もう牛を食べても安心か」(文春新書)1/2

 私たちはなぜ食べ続けるのか
 p61-9
 私たちはふつう、肉体というものを、外界と隔てられた「個物としての実体」として感じている。しかし、ルドルフ・シェーンハイマーが明らかにしてからまだ75年しか経っていないが、体内のたんぱく質は本当はわずか数日間のうちに食事由来のアミノ酸によってがらりと置き換えられてしまっている。その数日間のうちに、もとあったアミノ酸は体外にきれいに捨て去られる。
 「個物としての実体」というのは、私たちの意識がそう思いたいだけなのであり、分子のレベルでは、肉体は、たまたまそこに密度が高まっている、高分子のゆるい「澱み」でしかない。しかも、それは高速で入れ替わっている。この回転、代謝ということが「生きている」ということであり、常にタンパク質を外部から与えないと、出て行くタンパク質との収支が合わなくなる。それが私たちが食べ続ける理由である。・・・・・・・・・・。
 シェーンハイマーは私たちのたんぱく質について、この驚くべき事実を発見したが、現在では、タンパク質、脂質だけでなく、すべての臓器、すべての組織のありとあらゆる構成分子が、速度の違いこそあれ、代謝回転していることが判明している。
 心臓の細胞であれ、脳の細胞であれ、例外はない。たしかに、増殖や分裂を停止した細胞はそのままずっと留まっているように見える。しかし、代謝回転は、細胞レベルではなく、その細胞を構成している分子のレベルで絶え間なく生起し続けている。脳細胞では、細胞を構成する膜成分や中身のタンパク質が、いっぽうで絶えず新しく合成されるとともに、他方でどんどん分解されている。
 このことは、細胞内できわめて安定した形で情報を保持しているDNA分子についてもいえる。分裂することのない脳細胞のDNAも、ヒトが生まれてから死ぬまで、同一の原子で構成されたまま、不動状態を保っていることはできない。
 脳細胞は、人が生まれてからは分裂することがないのだから、細胞の多くの部品を修復する酵素群の活性を高く保たなければならない。そのために、脳細胞こそ、部品を構成するアミノ酸をいつも交換し、鮮度を維持しなければならないといえる。シェーンハイマーの動的平衡の掟は、私たちの意識というマクロな幻想を裏切って、脳細胞のDNAにも容赦なく降りかかっている。

 「遠いところのものを食べよ」
 p101
 食に対する伝統的な言い伝えを調べてみると、しばしば 「できるだけ遠いところのものを食べよ」 という教えを見つけることができる。これは、情報の干渉をできるだけ避けようとする心がけと理解すれば、消化の生物学から考えて合理性がある。
 体内の消化システムは、驚くほど完璧に近いものであるが、その関門をすり抜けてやってくる「負の情報」というものが存在する。遺伝情報を持たないほどきわめて小さいとされる狂牛病病原体タンパクや、生体防御関門が開いている母乳授乳時期のタイミングに侵入しやすい無機・有機のさまざまなアレルゲンなどがそうである。(近年の知見では、アレルギーの発生率が高まっていることは母乳授乳を早く切り上げ、離乳を始めるタイミングが早まっていることと相関関係があると指摘されている。乳児の外敵に対する防御関門は、数年間の母乳授乳時期の終わりまで開いており、アレルゲンが侵入しやすいからである。)
 「できるだけ遠いところのものを食べよ」と、同じ意味のことを逆の言い方で示したのが、カニバリズム(人肉食)のタブーである。事実、ヒトのヤコブ病の一種であるクールー病は、ニューギニア高地人の間の、死者を弔ってその大脳を食するというカニバリズムによって広がった。
 カニバリズムに対する私たちの生理的嫌悪感の由来に生物学的根拠を求めるとすれば、ヒト、それも親しい同一部族という 「もっとも近いところの他者」 の生体情報に、自分の身体が直接干渉されるという恐怖から来ているのではないだろうか。