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マックス・ウェーバー 「古代ユダヤ教」(岩波文庫・上)3/3

 ヤァウェの方から言い出した「個人的約束」としての恩寵
 p212
 イスラエルとは、明白な伝承に従えば、氏族連合(ブント)の戦争神であるヤァウェとの間に結ばれ、ヤァウェの指導下に維持された軍事連合の名である。一つの部族を示す名では決してない。
 p224
 ユダヤの法は個別の王が具体的に定めたものであり、それが現存する法律集の起源をなしているとされている。これらの伝承のされ方自体が、ユダヤの法が「古き良き法」と[理想的・平和的君主]とを堕落した現在に対置した、後代の記述であることを証拠立てている。
 孔子は、「古代に周公という聖人が良き法を定め、国家が理想的・平和的に治められた」と名君の知性を「祖述」することで論語の基礎をつくった。これと同型の「聖書成立パターン」がここユダヤにもある。
 p254
 ダビデの時代になって、都市居住地主層の騎士団と定住農民の召集軍からなる古い氏族長カリスマ軍は、ユダ王国を中心とするイスラエル十二王国の常備軍に取って代わられるようになる。装備費用がますます増大するなかで諸税や強制労働は重くなり、それまでイスラエルを支えてきた人たちは十二王国を苦々しいものとして感じていた。その自由イスラエル人たちの運動に一定の方向性を与えたのが、エリヤ、アモス、エゼキエルといった一連の偉大なイデオローグたちによるヤァウェ宗教であった。
 p274
 エリヤのような(禍の)預言者の言うことは、時の王によって請い求められたものではない。悪い前兆のようなものを買う王は誰もいないからである。あらゆる社会的権力や政治団体は禍の預言者というものを回避する。この社会学的な事実こそエリヤ、アモス、エゼキエルといった禍の預言者を孤独に追いやったのだが、しかしまたそのゆえにこそ彼らは圧政に苦しむ自由イスラエル人たちにイデオロギー的影響を及ぼしたのである。
 p277
 イデオローグたちにとっては、国家が古代イスラエルの契約(ブント)の「古きよき法」を忘れて、エジプトと戦うための賦役国家に変身したということが、自分たちを苦しめる害悪の源泉であった。十二王国の官僚機構は、敵であるエジプトのように戦慄すべきものであり、ペストのごときものをイスラエルに招くのであるとされた。
 イスラエルの十二王国下で債務奴隷化しつつあった農民は、かつて自分たちが賦役から解放されるために、驢馬に乗った君主とともに戦ったことを記憶していた。その戦いではブント(イスラエル連合)の戦争神であるヤァウェ自身が大将軍として農民軍を率いていたとされていた。その「偉大な時代の証」を大声で語るイデオローグの栄光はいや増すばかりだった。
 p295−9
 ヤァウェとイスラエルの約束は、何か特別な道徳的生活行動といったものを称揚する性質のものではなかった。この約束は <ヤァウェを土俗的な「偶像崇拝の諸神ではない特別な神」として取り扱うならば、ヤァウェは、自身の誓約として、あらゆる艱難を超えてイスラエルとともに進むであろうということ> ただこの一つの条件だけに結び付けられていた。
 偶像崇拝が一つの罪悪であるという思想は、他の古代宗教にとってはまったく未知のものだが、「ヤァウェ自身がそれを望んだ」という共同幻想が、ユダヤ教を世界できわめて独自のものたらしめた。
 ユダヤ教固有の「他の神への嫉妬」という概念も、この「神たるヤァウェ自身からのイスラエルへの誓約」ということから生まれたものである。