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J.D.サリンジャー 「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(村上春樹訳)(白水社)

 知能指数はとても高いのだが、(世界に対するあまりの怒りのせいで)アタマがいかれてしまった主人公ホールデン・コールフィールドが全頁にわたってひたすら喋りまくる小説である。自分が今はまり込みつつある「世界からの落下」について、精神病院の診察室で、あるいは精神分析医のオフィスで。聞き役である「君」からの応答は一切ない。相槌さえない。「君」とは「僕・ホールデン」のことだから。ホールデンひとりがひたすらしゃべり続ける。なぜ自分が、 「世界のすべてを気に入らないか」 について。
 ホールデンが話したことは、アメリカ東部名門大学の予備校みたいな高校を追い出されたあとの、たった一昼夜の出来事である。村上春樹の、「翻訳」であるとは思えないような訳文が、その一昼夜の、アメリカの十八歳少年にいかにも起こりそうなロクでもない「事件」を、たがの外れた機関銃のように、冬のニューヨークの大雪のように、言葉・言葉・言葉で降り隠していく。
 学生の時から読みたかった本だが、この年になって読んだのが果たしてよかったのか、と思う。二十歳でホールデン・コールフィールドの不機嫌を理解できていたら、ちがう方面に行ってしまっただろうと。
 ホールデンの、百万ほどある不機嫌の理由を、ほんの一つ二つだけ。
 
p207-9
 僕はホテルのロビーの時計近くの革のソファに座って、女の子たちを眺めていた。多くの学校はもうクリスマス休暇に入っていたから、何十人かの女の子たちがその辺に立ったり座ったりしていて、デートの相手が現れるのを待っていた。素敵な脚をした女の子たち、ぱっとしない脚の女の子たち、感じのよさそうな女の子たち、つきあってみたら性格の悪さがずるずる出てきそうな女の子たち。 
 なんというか、それは見ごたえのある光景だった。でも考え方によっちゃ気の滅入る光景でもあった。というのは、そんな女の子たちがこれからいったいどうなっていくんだろうと、君はついつい考えちまうからだ。つまり学校を出てから、カレッジを出てから、ということだよ。
 たぶん彼女たちの多くは、冴えない男たちと結婚しちゃうんだろうなと君は想像する。俺の車は燃費がすごいんだぜみたいな話ばかりしている男たちと。ゴルフで誰かに負かされたらすごい不機嫌になったり、子供みたいにムキになったりするような男たちと。とびっきり根性の悪い男たちと。本なんてぜんぜん読みもしないし、救いがたく退屈な男たちと。
 でもそういうのって一概に決め付けられないことかもしれない。つまりある種の男たちがほんとに退屈なのかどうかってことがさ。僕には退屈な連中のことがうまく理解できないんだよ。連中だって、本ばっかり読んでる君のことがとっても退屈に見えるようにね、その退屈って同じなんだろうかどうか、ね。まったくの話。
 というようなわけで、もしどっかの素敵な女の子が、見るからに退屈な男と結婚したとしても、それほど気の毒に思うべきじゃないのかもしれない。そういう連中は、というかそのほとんどは、たぶん誰かを傷つけたりすることもないだろう。僕は少し前、口笛でジャズをすばらしくうまく吹く男と、寮の同じ部屋で丸々二ヵ月くらい住んだことがあった。世界の果てまで退屈なやつで、僕は頭が半分崩れかけたほどだけど、それでも口笛が最高にうまかったから我慢できた。
 フットボールの試合に負けたらそれこそ天下の一大事みたいに思い込む男とか、ダークグレイのフランネルスーツにチェックのベストといういでたちのアイビー・リーガーを絵に描いたみたいな男とか、仲間で話すことといえば女の子と酒とセックスみたいな男とかも、実を明かせばみんな口笛の名人だったとか、そういうことなのかもしれない。ほんとのところって外から見るだけでは分かりにくいものなんだよね。そう思うな。
 p236
 戦争に行かなくちゃならないなんてことになったら、きっと僕は耐えられないだろうと思う。ずどんと撃ち殺されちまうとかそういうことだったら、まだ我慢はできるんだ。
 でもその前に軍隊にうんざりするくらい入っていなくちゃならない。それが何しろ困った点なんだよ。僕の兄のDBは四年間も軍隊にいた。Dデイに敵前上陸もした。でも彼は戦争よりも軍隊のほうをより憎んでいたと僕は思う。与えられた仕事はカウボーイみたいな将軍を司令部の車に乗せ、一日中運転して回ることだけだったんだぜ。でも、誰かに銃を向けて撃たなくちゃならないとしたら、どっちに銃口を向けりゃいいのかしょっちゅう考えちまったと言ってたね。だからなんだろう、休暇とかでうちに帰ってきたとき、兄はまる一日中ベッドから出なかった。居間に顔を出すことさえしなかった。
 僕は一度、一週間ばかりボーイスカウトに入っていたことがあるんだけど、前にいるやつの首筋をみていることに耐えられなかったよ。なんで、知らないやつの汚い首筋を何分も見続けなくちゃならないんだろう、とね。きっとこいつらがM16をかかえて砂漠をうろつきまわる職業殺人者になるんだよ。
 兄の上官だったカウボーイみたいな将軍が兄に言ったらしいよ。「未熟なるもののしるしとは、大義のために高貴なる死を求めることだ。その一方で、成熟したもののしるしとは、大義のために卑しく生きることを求めることだ」って。
 これって、兄は未熟だから死ね、将軍たるオレはお前たちの死体の上を卑怯に生きていくのさ、ってことだろ。あまりと言えばあまりの言い草じゃないか。世界の果てまで行ったという怖いものなしのブディスト禅坊主が、高級女郎屋で若い女を買うときの、悪魔の開き直りじゃないか。
 こんな世界じゃ、僕はもう落ちていくしかないじゃないか。僕の言うのことを聞き続けている君も。僕たちが今はまり込んでいる落下は、ちょっと普通ではない種類の落下だと思うんだ。恐ろしい種類の落下だと。落ちていく人は、自分が底を打つのを感じることも、その音を聞くことも許されない。ただただ落ち続けるだけなんだ。

 p293
 僕も君も、(二人は同じ人間なんだが、)きっとクレイジーな崖の上の、だだっぴろいライ麦畑の上で何かのゲームをしているのさ。それで、僕たちは、自分じゃ気づかないのだが、そのライ麦畑の端のほうの崖っぷちに立っているわけさ。よく見ないでゲームに夢中になってたら、その崖から千キロメートルも落ちそうになってしまうんだよ。そしたら一巻の終わりさ。
 だからね、つい落ちそうになる僕たちをサッとキャッチしてくれるライ麦畑のキャッチャー、そんなものが現れてくれないかと、ぼくは哀れな心の片隅でいつも祈っているんだよ。