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内田 樹・名越康文「14歳の子を持つ親たちへ」(新潮新書)

 道徳という「フィクション」を作り直そう
 p24
 内田  神戸の「酒鬼薔薇事件」でも佐世保の女子小学生の同級生殺害事件でも、「あれは化け物だ」とか、「誰しも心の中に邪悪なものがあるんだよ」みたいな、単純な性悪説を言ってみてもなんの役にも立たないですよね。
 名越  僕は「酒鬼薔薇」のときから、かれらを、自分たちと同じ血が流れている人間なんだと、オフレコでは記者たちに言ってきたんです。佐世保の事件で、精神鑑定の結果が、「彼女は正常である」と出たことで、今までの社会的な「正常」のフレームを作りなおさなければならなくなりましたね、やっと日本でも。
 内田  佐世保の事件は、殺人という一線を簡単に越えられるのは、その「越すに越せない一線」というものが実は存在していない、ということを社会に教えたと思うんです。いままでは 「人間には越えてはいけない一線があるんだよ」 という物語がそれなりに有効に機能してきた。で、それを繰り返し語っているうちに、その 「越えられない一線」 があたかも科学的事実であるかのように受け取られてしまった。
 名越  少年事件が起きるとすぐ「エセ科学主義」みたいなものが、メディアにそれこそあふれ出てくる。
 内田  メディアの語り方に問題があると思うんです。「越えられない一線」 があるというのは事実認知じゃなくて、「越えられない一線を構築せよ」 という社会的要請なんです。私たちの群れを壊さないための、一種の政治的言説と考えた方がいい。
 p39
 名越  親を殺す子供って、まれに出てきますよね。臨床精神科医として個人的な感覚で類推するに、「親を殺したい」って思ったことのある子供たちは、実際に殺した子の百倍はいると思います。
 じゃあその子達はどんな感情を持っているのか。あえて極端な分かりやすい言葉で言いますが、「気色悪い」とか、「邪魔だ」とか、「生ゴミのように臭い」みたいな、もう排除したくてしたくて仕方がない感じなのではないか。
 内田  人間的葛藤があるのじゃないんですね。でもなんで、そんな親をそのままにしておくのでしょう?家の中から親を「排除」してしまわないのだろう?
 名越  ゴミが出せない人っているでしょ?それと似た面がある。近くに来ると臭いし、邪魔だし、気色悪いから、もうみて見ぬふりをする。完全に排除する感覚だけれど、殺すまでは行かない、一応。
 で、自分と「関係ない」ひとをどんどん排除していくっていう今の風潮は、電車の中で平気で化粧する女の子とか、地べた座りをするような感覚ともつながっている。彼女らにとって、自分に「関係ない」ひとたちは「透明な存在」なんです。見えないから存在していない。
 病気なのは親のほう?
 p45
 内田  世間の親を敵にまわすような言い方をしますが、結局その子供たちも、そういうふるまい方を親から学習していると思うんです。コミュニケーションの作法は子供がオリジナルにつくれるものじゃないですから。自分より年長のもののやり方をまねる以外にないですから。
 精神的に病んでいる女の子って、母親との葛藤が原因の人が圧倒的ですよね。子供は色々とシグナルを発信しているのに、母親がそれをほとんどシステマティックに無視する。でも、その子の中の 「承認可能な部分」 についてだけは、反応する。
 子供が苦しんでいることを伝えるシグナルには、そういう母親は反応しない。そういうメッセージは母親の子育ての失敗に対する言外の非難を含んでいるから。自分に批判的な、受信したくないシグナルだけは選択的に無視する。
 だから、子供が苦しんで母親に訴えても、その 「苦しんでいる部分」 は母親にとって「透明で見えないなにか」になってしまっている。そして、自分が許容可能なメッセージだけ受信して、「あんなに可愛がってきたのに」 と、さらに娘に辛く当る。
 いまの子供たちは、かたわらにいる人間を選択的に 「透明で関係ないもの」 にしてしまうマナーを、自分たちの実の親の子育てから学習しているんじゃないでしょうか。
 この間、養老先生から聞いたんですが、ある講演会で「子育てにマニュアルはない」ということを先生が話された後、聞いていた母親が先生のところに来て 「あのー、マニュアルがない場合には、どうしたらいいんでしょうか?」 って訊いたそうですよ(笑)。
 p86
 名越  オバサンっていわれる人たちがいますよね。映画の最中にバリバリものを食べたり。病院の待合室で大きな声で話をしたり。
 あるとき、ふと気づいたんです。彼女たちの話をよく聞いていて、情緒の使い方を見ていると、まるで思春期を迎えていない少女と一緒なんですよ。小学校の五、六年からせいぜい中二ぐらいまで。とても、とても未熟・・・・・。そのころの女の子ってキャアキャア言って、女の子同士で牽制したり、見栄を張りあったり、その中でいろいろ嫉妬したり・・・・。でも、未熟だから感情の使い方が非常に粗雑で、何にでも同じ反応をする。 「むかつく」 と 「かわいい」 しか感情を表現する語彙がない。
 その、 「前思春期」 の状態から情緒が止まってしまったまま、恋愛のようなものをし、結婚をし、子供を産んで、そして一人前になったと勘違いしている人たちが、 「オバサン」 なのではないか。そういう人たちが子育ての悩みに直面したとき、 「あのー、マニュアルがない場合には、どうしたらいいんでしょうか?」 って訊ねるのかもしれないです。
 内田  怖い話だな。
 名越  でも、そうして見ると、今の時代の子供って、許せるようになるんですよ。
 内田  「かわいい」 って形容詞で思い出したんですが、昭和天皇が重態になったとき、皇居に記帳するところがありましたよね。その記帳者の列には女子高校生もたくさんいた。その子たちがTVのインタビュアーに 「どうして天皇というあなたの生活とはあまり関係のないような人のために、こんなところで記帳するの?」 って聞かれたとき、その女子高校生がこう言ったんですよ。 「だって、天皇って『かわいい』じゃん」。 ぼくは、日本語のある種の感情を表わす単語の意味が変わる瞬間に立ち会って、ホント、びっくりしました。