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片山杜秀 「未完のファシズム」(新潮社)

 宮沢賢治と旧軍指導部の意外な関係
 資源をほとんど持たない日本において、戦争指導者たちのファナティックな「哲学」はどのようにして形成されていったのか。 それを日蓮宗系の新興宗教との関連という意外な視点から解きほぐそうとした本である。
 満州事変は、石原莞爾関東軍が日本政府と東京参謀本部の意思を無視し独断専行で起こしたものとされている。それは史実として間違いない。
 石原莞爾半藤一利氏が『日本型リーダーはなぜ失敗するのか』(文春新書)で指摘しているように、「大本営派遣参謀」というまことに厄介な役職に就いていた。大本営派遣参謀は職制上、戦闘の現場で参謀総長の身代わりとして命令を発することができた。 大本営派遣参謀に「これが大元帥陛下のお考えである」といわれたら、現場の司令官がそれを潰せるはずはなく、刻々と変わる現場の戦況にまるで合わないトンチンカンな作戦が石原をはじめとする東京からの派遣参謀によって進められた。
 無論そうした作戦は敗北に終わることが多かったが、西南戦争山県有朋たちが作った「参謀本部条例」の制度上、派遣参謀には責任が問われなかった。彼らの横暴は軍法会議にもかからないし、個人的にも左遷すらされなかった。
 石原莞爾は、辻正信らとともに「派遣参謀」制度が生んだモンスターとして日本を大敗させ、「四等国」に引きずり落とした張本人だが、ではこの石原莞爾という男はどのような思想形成をしながら軍内部の出世の階段を上っていったのだろうか。
 日本陸軍の「大破滅思想の形成過程」をテーマとするこの本を読み進むと、石原ら陸軍軍人が、意外にも日蓮宗系の新興宗派と深くつながっていたことが分かってくる。
 彼ら陸軍軍人はほぼ例外なく幕末勤皇思想の水脈をそのまま受け継ぐ人たちだった。その人たちの中に、石原莞爾のような特別な「信仰心」、世界の終末と救世主の再臨を待ち望む古代ユダヤ人のような「異常な信仰心」を持って進めた人たちがいた。彼らはその「勤皇思想」を昭和初期の世界軍事情勢の中で押し広げようとしたのである。 そして驚くことにあの『銀河鉄道の夜』の宮沢賢治も、かれら国粋ファシストたちつながっていたのだった。

 p161
 宮沢賢治の実家の宗旨は浄土真宗で、父親はとりわけ熱心な門徒でした。賢治も仏教に親しんで育ちました。しかし父親への反発もあったのか、同じ鎌倉仏教でも親鸞浄土真宗とは多くの点で相容れない日蓮系の思想に惹かれだしました。いうまでもなく日蓮は「法華経」を唯一絶対化して他の経典・他の思想を認めなかった人です。
 賢治も「法華経」に熱中しはじめ、やがて一九二○年、第一次世界大戦の終わった翌々年に日蓮主義系の新興宗教団体・国柱会に入信します。二四歳のときです。
 p164
 仏教の出発点の思想からすれば、現世はあくまで穢土であって、そこにとどまる限り人間は四苦八苦する以外にありません。たとえば浄土真宗では、「南無阿弥陀仏」と唱えて慈悲深い仏にすがることにしか彼岸に至る道はありません。
 ところが「法華経」はさにあらず。釈迦が皆を成仏させてこの世から脱出させる話ではない。あくまで現世にとどまりこの世の悪と対決するのです。「法華経」を信じ、穢土が浄土に逆転する日があると思い、その日に向かってこの世をすばらしくしようと努力する。
 そうしていればいつか釈迦が必死の行いを認めてくれて、彼岸は、向こうからやってくる、濁世は光に包まれる。「天上へなんか行かなくっていいじゃないか。ぼくたち、ここで天上よりももっといいことをこさえなきゃいけないって、僕の先生が言ったよ」という『銀河鉄道の夜』のジョバンニのせりふがそのまま当てはまる世界です。
 p173
 一九二○年、三七歳で宮沢賢治は亡くなりました。死に際に「日本語訳の法華経を一○○○部も刷って友人知人に配ってほしいと」父親に言い残しました。そのうちの一冊が弟の宮沢清六から石原莞爾に贈呈されています。
 石原莞爾はそのとき国柱会の有力な信徒でした。賢治が生前に石原と知り合いだった証拠はありません。宮沢家の方で同じ東北出身者として縁を感じたのかもしれません。時に石原は関東軍参謀副長でした。
 p175-85
「持てる国」と「持たざる国」・・・・・・第一次世界大戦連合国、とくに後から参戦したアメリカの圧倒的な物量供給力を目の当たりにした日本陸軍の軍人たちは、この言葉にうなされていました。
 すべての陸軍軍人が「持たざる国」日本を何が何でも「持てる国」日本に変身させようとする野心を持っていたわけではありません。小畑敏四郎や永田鉄山などは、「足りない部分は精神力という融通無碍なものを適当に勘定して当座の帳尻を合わせてごまかしておくしかない」という「リアリスト」でした。
 しかし本当に「持たざる国」が「持てる国」に化けられると信じ抜いた将軍たちもいたのです。その筆頭が石原莞爾です。
 p184-5
 一九二八年、石原は東条英機らも集まった陸軍内部の勉強会で、「我が国防方針」と題して講演しました。「将来、日本とアメリカは必ず大戦争をする。日本は東洋の、アメリカは西洋の代表だ。その戦争は世界最終戦争となる。日本はどうしても勝たなければならない。ところが現段階で日本は「持たざる国」である。まずは可及的すみやかにアメリカとの物量の差を埋めなければならない。そのための日本の方途は「全支那を獲得する」ことである。「全支那」を日本の産業基地となせば、日本は「持てる国」に化けられる。それが日本の国防方針だ・・・・・・・、そんな話をしたようです。東条英機らには「石原は狂っている」と思われたようです。
 石原はなぜアメリカとの世界最終戦争などと言い出したのでしょうか。じつは石原の信仰心の発露なのです。一九○四年、石原の日蓮宗の師である田中智学が日蓮観心本尊抄』のきわめて独創的な解釈書を著していますが、石原はそれを石原なりに再解釈し、自著『世界最終戦総論』」で次のように言い換えています。
 「日蓮聖人は将来に対する大きな予言をしております。どういうことかと申しますと、日本を中心として世界に未曾有の大戦争が必ず起きる。そのときに本化上行が再び世の中に出てこられ、本門の戒壇を日本国に建て、茲に日本の国体を中心とする世界の統一が実現せられるのだ。日蓮聖人はこういう予言をして亡くなられているのであります。」・・・・・・・・。
 p188
 「天上へなんか行かなくっていいじゃないか。ぼくたち、ここで天上よりももっといいことをこさえなきゃいけないって、僕の先生が言ったよ」。宮沢賢治が『銀河鉄道の夜』でジョバンニに語らせた地上の理想化とは、同信の人、石原にとっては、日本の対米戦争での勝利と日本中心の世界統一という幻を見ること以外にありえなかったのでしょう。