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マックス・ウェーバー 「古代ユダヤ教」(岩波文庫・下)4/5

 パーリア状況を「栄光」化させることでユダヤ教は完成した
 p826
 バビロンに移送されたユダヤ人は、バビロニアやペルシアの貴族の地代徴収者、使用人となるものがかなりの数にのぼった。また、商業とくに貨幣の両替業に従事していたものも多い。これは、まさにバビロニアがすでにハンムラビ時代から「金貸し業者」の町だったから、当然の成り行きだったろう。
 ともあれ、バビロニアでは言語上でもアラム語の民衆方言をユダヤ人が取り入れたため、エジプトでの捕囚時代のように、ユダヤ人ゲットーなどは発達しなかった。
 p833-4
 祭儀組織や儀礼的命令や、文書として存在していた歴史的伝承や、レビびとのトーラーの集成は、この捕囚期の直後までにバビロンで「法典」の形にまとめられた。それが今日にまで伝わっている。
 捕囚教団の上級祭司たちによってまとめられた「法典」を、教団国家にとって拘束力あるものとしたのは、有名なエズラである。すなわちユダヤ教徒を外部儀礼の一切から遮断したのである。
 この儀礼的遮断は、エズラが、バビロンに流刑になった大量の下級祭司や一般イスラエル人が流刑先の環境に同化されてしまった事実を知ったためである。上級祭司やトーラー教師たちは、かような儀礼的保護の壁を設けることの重要さを、バビロンにおける<同化=民族消滅の危機>によって学んだのだった。
 p840-2
 「法典」によれば、儀礼的に誤った方法で屠殺された家畜の肉は――肉屋の技術的未熟によるものでも――すべて腐肉とみなされ、食べるのを禁止された。ユダヤ人が一人であるいは小団体で住むことが困難になり、以後ヨーロッパのどこでも「ユダヤ人地区」が出現したのは、儀礼的に厳正な肉屋を身近にもてなかったためである。
 さらに、安息日の厳格な聖化が、ユダヤ人であることの「識別のための命令」として前面に押し出されるようになった。安息日を守ることは教団外のものと同じ仕事場で働くことを困難にしたから、ユダヤ人はどこにおいても異様に目立つ集団になっていった。
 p867-8
 とはいえ、捕囚の人々の中でも、富裕層には宗教への無関心と現状適応の傾向が、敬虔な貧困層にはルサンチマンが生長してきた。捕囚の人々の間で、過去の先祖たちの罪のために民族全体が責を負わねばならぬという思想は耐え難く、維持することはできなかった。ヤァウェへの忠誠に対する報いの要求が生ずることは不可避であった。
 それを先導したのがエゼキエルである。エゼキエルによればそもそも個人の逃れがたい罪の重荷というようなものは、自分の罪であれ先祖の罪の遺産であれ、何も存在しないはずであった。以来支配的となるゴーラーの懺悔の調子は、このエゼキエルの思想が基礎にある。
 p872
 捕囚期とそれ以後の(文学的)預言は、古代ユダヤ教の中でもっとも本格的な神議論を創造した。この神議論は、苦難と、悲惨と、貧困と、低くあることと醜さを崇高に神格化したのであって、その首尾一貫性は新約聖書を超えているとも言うことができる。
 p875・8
 艱難や受苦を主調低音とするエゼキエルなどの悲惨主義者にとっては、「バビロン捕囚のようなイスラエルの屈辱的な運命は、英知に富んだヤァウェのもろもろの救済計画の実現のための手段の一つである。しかも、まずさしあたって、ヤァウェはいきなり浄化の恩寵をほどこすのではない。ひとが銀を精錬するように、むしろ悲惨の炉の中でこそヤァウェはその貧しい民を彼の選び抜いた民にするのである。」 
 p888
 ほかでもない 「ユダヤ人のパーリア民族状況の、そしてこの状況に忍耐強くもちこたえていることの栄光化」 こそ、これら預言の意味なのだ。このことによってイスラエル民族は、この世界に救済をもたらす者にまでなるのである。
 ユートピア的な福音書の説教に含まれるあらゆる要素、たとえば「悪には暴力で抵抗してはならない」、はすでにここに源を発している。パーリア民族状況それ自身、ならびにその従順な忍耐は、その状況が一つの世界史的伝道という意味を与えられることによって、神の前における最高度の宗教的尊厳と名誉にまで高められたのである。
 p890
 十字架上のイエスの最後の言葉 「わが神、わが神、なぜわたしを棄て給うのか」 は詩篇二十二篇の最初の言葉であり、この詩篇は最初から最後までこの悲惨主義に編集の手が加わったものである。もしもこの聖句を自分自身に適用したのがイエス自身であるとすれば、イエスは自分が(エゼキエルの言う意味における)メシアなのだとする感情を確かに持っていたのだろう。
 p897-901
 エゼキエルでも、後期の神託においては、元来の野性味や熱情的エクスタシスはすべてなくなっている。捕囚期とそれ以後においては、主役はヤァウェの個人人格から、予言者の上に現れる「主なるヤァウェの霊」に変わり、しかもその霊の担い手は予言者個人ではなく 「教団」となってしまっていた。
 「主なる霊」はすでに個人の上に現れるものではなく、原始キリスト教教会に特徴的なエクスタシスをともなう「集団的現象」となりつつあった。原始キリスト教イスラエル社会の中に準備されていたのだ。