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マックス・ウェーバー 「古代ユダヤ教」(岩波文庫・下)5/5

 パリサイびとの教条主義への反発からキリスト教が生まれた
 p916
 当時、もっとも厳重なレビ的清潔・敬虔を誓うパリサイびとと、ごく普通の不浄な生活をしているユダヤ人のあいだに激しい憎悪が生じていた。ナザレのイエスが、他の人たちとの食事、交際、結婚を嫌うパリサイびとに対して怒りをこめて語っているのがその十分な証拠である。
 パウロは宣教の技術と破壊不能な共同体創造の技術を、このパリサイびとのセクトから学んだのだった。のちの時代、離散ユダヤ人の存在が(いつどこのゲットーにあっても)異質の環境のなかで微動だにしなかったのは、その本質的な部分にいたるまでこの共同体創造技術の成果である。
 p919-20
 パリサイびとの聖書学者は、信徒に対して厳格な儀礼的清潔を要求したが、その中身はまったく市民社会層の利害関心に順応したものであった。
 儀礼的諸規定の根拠について詮索することはなく、むしろ、「罪への恐れは知恵にまさる」というふうに簡単に片付けられている。その結果今日まで、ユダヤ教の教義学といったものがはたして存在するのかどうか、それがそもそも可能なのかどうかさえ、いぜんとして争われている状態である。
 p922
 摂理信仰の台頭や神の「恩恵」のいちじるしい強調も、平民層の宗教的諸傾向に一致したものである。パリサイびとの影響の下で救世主待望が相当に強化されたが、これもその市民社会層の特長によって説明のつくことである。現にメシアの希望や死者がよりよい生命に復活するという思想は、少なくとも高貴なひとびとには断固として拒絶された。
 p940-3
 パリサイびとのラビたちは魔術師でも予言者でも哲学者でも占星術師でもなかった。 なにか奥義的な救済論の、すなわちグノーシスの担い手でもなかった。彼らが語るさまざまな歴史物語に出てくる「道徳」は、「子供でも理解できる分かりやすさ」を持っているのだが、それは彼らの崇高な神観が直截的に理解可能だからである。
 ギリシアの子供にはホメロスの英雄、インドの子供にはマハーバーラタの物語は分かりやすいが、バガヴァドギーターの倫理内容や仏陀の解脱論は理解できない。その宇宙論も人間学も理解可能ではない。
 これに反して、ユダヤ教の聖書に書かれている「合理主義」は、おそらくナザレのイエスの物語を例外として、世界中のどの聖典にもないほどの子供・大衆レベルでの分かりやすさが仕組まれている。
 p962
 パリサイびとのうちでもエッセネ派にとって、安息日は喜びの日ではなく絶対的な休息の日である。性交をエッセネびとは水曜日に制限したが、これは子供が安息日に生まれることがないようにという願いからだといわれている。
 p971
 しかしイエスはまったく別の道を歩む。「口より入るものは人を汚さない、むしろ口から出ていくもの、そして汚れた心から出て行くものが人を汚すのだ」というイエスは、エッセネびとが戦々兢々として不浄なものを遮断するのに対し、これらの人々と十分確信を持って親しく交わったり会食したりするのである。
 p982-5
 「儀礼的清潔」を基準概念にして、ユダヤ人の内部では職業別による一種のカースト的遮断が進行して行った。しかも外部から拒絶されるのではなく、自由意志で自分からそうなった。あくまでユダヤ人自身が非ユダヤ人との交わりをますます厳重に拒否するにいたったのであり、その逆ではない。
 p986
 ユダヤ人に対して繰り返される決定的な非難は、ユダヤ人の「人間憎悪」であった。つまり結婚権や食卓仲間権やあらゆる種類の兄弟団の結成や、何らかの種類の密接な交わり、経済的な交わりを、(儀礼的清潔の維持を理由に)ユダヤ人が原理的に拒否したことに対する非難だった。ユダヤ人「ゲットー」の社会的孤立化は、第一義的には徹底的にユダヤ人が自分で選び自分で欲した結果であり、しかもこの傾向はますます増大するばかりだった。