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丸山真男 「昭和天皇をめぐるきれぎれの回想」(丸山真男集 第十五巻 岩波書店)

 p25
 私が法学部に入学してからの天皇および天皇制との出会いは、宮沢俊義教授の「憲法」の講義においてだった。その前年に美濃部達吉教授が天皇機関説問題で退官していたので、私は偶然にも少壮・宮沢教授の最良の講義を聴講するという幸運に浴したことになる。
 この憲法講義は、私が法律学に対していだいていた悪い先入見を一掃するに十分だった。たとえば天皇にかんする条文でいえば、「第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」 は宮沢教授によると、天皇は刑事訴追の対象とならない、ということで、法的にそれ以上の意味はなかった。 「神聖ニシテ侵スベカラズ」 という、いとも荘厳な表現が、法律的には刑事訴追の対象とならないという――なんとも味もそっけもない意味だけになってしまうことを教授の講義で知って、「なるほど法律学というのは案外面白い」と思った学生は、私だけではなかっただろう。
 p28
 天皇機関説問題が勃発したとき、天皇は 「機関説でよいではないか。元首という言葉も機関説を前提にしている」 とか 「美濃部を不忠の臣であるかのようにいうのはおかしい」 とかいう意味の感想を側近に漏らしたことが史料で明らかになっている(原田日記・本庄日記等)。だがもしそうなら、どうして天皇は自分自身の国法学的位置づけにほかならぬこの問題について、私的感想からもう一歩踏み込んでそうした見解を公にしなかったのかが、私には納得できない。
 それからわずか一年後の二・二六事件では 「朕自ら討伐する」 とまで自分の判断をあからさまにした天皇が、天皇の公的地位について公言できない理由はない。それは機関説という特定学説を積極的に肯定するかどうかの問題ではなくて、ただ機関説を「反国体的とは思わない」とする消極的発言で十分なのである。クレオパトラの鼻になるが、もしこのとき天皇の側近への発言が公の形でなされていたならば、その後の時代の動向はかなり異なった方向をたどったにちがいない。
 (論理的に飛躍するが)昭和天皇が「御不礼」になってから死去するまでの「自粛の全体主義」は、この機関説問題の勃発時前後に淵源するとも言える。先帝大正天皇「御不礼」の折は、それが発表された十月から天皇死去のその年の暮れまでに、大見出しの新聞記事になったのは何回もなかった。当時は皇居前で病気平癒を祈って平伏する「臣民」の写真は何度か新聞に載った。けれども小さな村の祭りまで「自粛」するという昭和天皇のときような珍現象は、記憶する限り全くなかった。
 言葉をかえていえば、病気の平癒を祈る臣民の内面的な心情が失われるのに反比例して、あたりをうかがいながら「まあこの際うちもやめておこう」という偽善と外面の画一化が拡大したのが今度のケースである。井上陽水のあの皮肉な笑顔の口パクCMはこのあたりの事情をみごとに映像化して見せてくれた。

 「吉野源三郎氏をしのぶ 『君たちはどう生きるか』をめぐって」(第十一巻)
 p366-75
 ひとから持ち上げられたり、舞台の前に押し出されたりすることを極端に避けた吉野さんを偲ぶにあたって、吉野さんが当時――一九三○年代末――のティーンエージャーに向けて書かれた『君たちはどう生きるか』という画期的な名著を私がどのように読んだかを報告し、戦前からついにテレて言うことができなかったあなたからの学恩に対する感謝の気持ちを申し上げたいと思います。
 『君たちはどう生きるか』の主人公はコペル君というあだ名を持っています。いうまでもなくコペルニクスを短くしたものです。世界のあり方を説明するときの、それまでの「天動説」を「地動説」にひっくり返したコペルニクスです。
 この『君たちはどう生きるか』に展開されているのは、人生いかに生くべきか、という倫理だけではなくて、社会科学的知識とは何かという問題であり、むしろそうした社会認識の問題と切り離せないかたちで、人間のモラルが問われている点に、この書物のユニークさがあるように思われます。
 だからこの本の中では、「天動説」から「地動説」へという世界の基本認識の転換は、たとえそれがどんなに画期的な発見であるにしても、吉野源三郎さんはそれを、一回限りの、もう勝負が決まったというか、けりのついた過去の出来事、天動説時代の人間の愚かさの証明と、しては語っていません。それは、自己中心主義の世界像から、世界の中での自分の位置づけという考え方の転換のシンボルとして、したがって現在でも将来でも、何度も繰り返される、また繰り返されなければならない 「ものの見方」として提起されています。・・・・・・・・・・。
 地動説への転換は、もうすんでしまって当たり前になった事実ではなくて、この本の読者である子供たちを含めて私たちが、不断にこれから努力していかねばならない困難な課題であるはずです。そうでなかったら、どうして自分や、自分が同一化している集団や 「国益」を中心に世の中が回っているような認識から、文明国民さえ今日も容易に脱却できないでいるのでしょう。
 つまり、世界の「客観的」認識というのは、どこまで行っても私たちの「主体」の側のあり方の問題であり、主体の利害、主体の責任と分ちがたく結び合わされている――その意味でまさしく私たちが「どう生きるか」が問われているのだ、ということを、吉野さんはコペルニクスの学説に託して子供たちに説こうとしたわけです。
 認識の「客観性」の意味づけだけでなく、 「文学や芸術」 と 「科学的認識」 のちがいは自我がかかわっているかどうかではではなく、自我の 「かかわり方」 の違いなのだという、今日にあっても新鮮な指摘が、これほどわかりやすく、これほど説得的になされている例を私はほかに知りません。
 私がこの作品に震撼される思いをしたのは、ティーンエージャーどころか、この本で言えばコペル君のためにノートを書いている 「おじさん」 にあたる年頃、大学を卒業して法学部の助手となり研究者としての一歩を踏み出したころでした。そして、いっぱしの大人になったつもりでいた私は、「おじさん」のノートによって人間と社会への目を開かれてゆくコペル君の立場に自分を置くことで、もののみごとに揺さぶられてしまいました。わたしは精神的になんという未成熟な人間だったのか、いまさらながらの思いです。