アクセス数:アクセスカウンター

村上春樹 「羊をめぐる冒険」 (講談社文庫)2/2

 p105−6
 「僕」と「相棒」の会話・・・この小説全体の「黒幕」について・・・「黒幕」は『1Q84』の柳屋敷の老婦人を男にし、もっと犯罪的右翼にしたものである。
 相棒  「黒幕」は一九一三年に北海道で生まれ、小学校を出ると東京に出て転々と職を変え、右翼になった。一度だけ刑務所に入ったが、出ると満州に移り、関東軍の参謀クラスと仲良くなって、謀略関係の組織を作った。彼はこのあたりから急に謎の人物になっていくんだ。麻薬も扱っていたというが、多分その通りだろう。そして中国大陸を荒らしまわったあとで、ソ連参戦の二週間前に駆逐艦に乗って本土に引き上げてきた。抱えきれないくらいの貴金属と一緒にね」
 相棒  「彼はA級戦犯で一応巣鴨に入れられたんだが、米軍がほしい情報を持っていたためにすぐ釈放された。そしてどこかに隠しておいた財宝を二つに分け、半分で保守党に一派閥をまるごと買い取り、あとの半分で広告業界を買い取った。」
 僕  「そういえば、昔の電通のビルって、満鉄ビルって言っていたね。まだ広告業なんてチラシくらいにしか考えられていなかったのにな。先が見通せたんだね」
 相棒  「とにかく彼はその金で政党と広告を押え、その構造は今でも続いている。彼が表面に出ないのは、出る必要がないからなんだ。広告業界政権政党の中枢を握っていれば、できないことはまずないからね。広告を押えるというのがどういうことか、君にはわかるか?」
 僕  「いや」
 相棒  「広告を押えるというのは、出版と放送のほとんどを押えたことになるんだ。広告のないところには出版と放送は存在しない。水のない水族館みたいなものさ。俺たちが目にする情報の九十五パーセントまでは、既に金で買われて選り分けられたものなんだ」

 p183−207
 黒服を着た、「黒幕の秘書」の登場・・・・村上ワールドの「壁」を象徴する男。『ねじまき鳥クロニクル』では実妹を凌辱する綿谷ノボル、『1Q84』では教団主宰者の深田に「成長」していく怪物である。
 「私は君に対してできる限り正直に話そうと思う」 と黒服の秘書が言った。どことなく公式文書を直訳したようなしゃべり方だった。語句の選び方と文法は正確だが、ことばに表情が欠けていた。
 「しかし正直に話すことと、真実を話すことはまた別の問題だ。・・・・・・巨大な事物の真実は現われにくい。我々が生涯を終えた後になってやっと現われるということもある。だからもし私が君に真実を示さなかったとしても、それは私の責任でも君の責任でもない。
 「黒幕といわれる先生や私たちは、王国を築いた。強大な地下の王国だ。我々はあらゆるものを取り込んでいる。政界、財界、メディア、官僚、その他君には想像のつかないつかないものまで取り込んでいる。権力から反権力にいたるすべてだ。要するに恐ろしくソフィスティケートされた組織だ。そしてこの組織を先生は戦後一人で築き上げたんだ。世界をもっと堅固に、高く作り上げようとする意志の力でね」
 「意志とはなんですか?」と僕は訊いてみた。
 「空間を統御し、時間を統御し、可能性を統御する観念だ」
 「わかりませんね」
 「もちろん誰にもわかりはしない。先生だけがいわば本能的にそれを理解されていた。極言するなら自己認識の否定だ。先生が作り上げようとしている世界においては、「自己」の認識が否定されるところではじめて完全な革命が実現する。君たちにわかりやすく言えば、労働が資本を包含し、資本が労働を包含する革命だ」
 「幻想のように聞こえますね。僕たちがついこのあいだやろうとしたことに似ているんじゃないですか?」と僕はまた訊いてみた。
 「君たちが六○年代の後半に行った、あるいは行おうとした意識の拡大化は、それが個に根ざしていたがゆえに、完全な失敗に終わった。つまり個の質量が変わらないのに、意識だけを拡大していけばその先にあるのは絶望でしかない。
 「君たちは人民とか大衆とかをアテにしていたようだが、その時点で君たちは「凡庸」ということを全く理解していなかったんだよ。凡庸とは要するに、世界はカオスにすぎないということなのだから、凡庸なこの世界の中から人民を領導するものは原理的に出てくるわけがないのさ。君たちはただおしゃべりをしていただけなんだ。毎日の学校の中でと、毎週の朝日ジャーナルの中でね。
 「先生は、そんな愚かな方策はとらない。先生おひとりの力で、高い倫理の壁をめぐらせた王国をさらに完璧なものにしようとされている、背中に星のあるあの羊の力だけを借りてね・・・・・・。その羊は先生が満州から駆逐艦で引き揚げてきたときに連れてきたものなんだ。いまは北海道のどこかの牧場にいる。どこの牧場かは、我々の力をもってしてもまったくわからない。その羊を北海道で探し出す協力を君にお願いしたいのさ。

 「その羊は、とても・とても・とても特殊な羊で、神がイエスムハンマドを指名したように、ヒトの脳の中にすっと入ってしまう力を持っているんだよ。そして、イエスムハンマドのように、羊に入られた人は精神の王国を作り上げることができるのだ。もう一度その羊の力を借りて、いま重い病に侵されている先生をよみがえらせたいと我々は願っている・・・・・・・・・・・。」
 ・・・・・・ということで『羊をめぐる冒険』は、どの村上作品とも同じように、 「自分に興味を示してくれない世界」 と戦う心優しい人のための、つらい物語である。