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カズオ・イシグロ 「日の名残り」(ハヤカワepi文庫)

 「従僕の眼に英雄なし」というヘーゲルの名文句があるそうだ。ただしヘーゲルは、「それは英雄が英雄でないからではなく、従僕が従僕だからだ」と言い添えているらしい。食事の世話をしたり靴を脱がせたり身の回りの雑用ばかりをやっている下男にかかると、どんな大人物も欠点だらけの普通の男にしか見えなくなるというわけである。(丸谷才一・解説)
 日の名残り』は、第二次大戦前の凡庸なイギリス貴族・ダーリントン卿に仕えた忠実な執事・スティーブンスを主人公とする、いわゆる「英国の状態」小説である。
 執事・スティーブンスにとって主人・ダーリントン卿は人品卑しからぬ英雄そのものである。ダーリントン卿の気高さがスティーブンスの 「執事という最上位召使のプライド」 を支えるすべてなのだ。そのことが全編にわたって、英国の貴族社会・階層社会を知らない日本人読者にとっては、「この自己欺瞞はどこまで続くの?」と思われるくらい、幾度も幾度も語られる。
 たとえばp46あたりの、スティーブンスが語る「偉大な執事」の定義。
 「私ども大きなお屋敷の執事は、長年「偉大な執事とは何か」ということについて、さまざまに話し合ってまいりました。ヘイズ教会という、「超一流」の執事しか入会させないことを謳い文句にする団体が一九二○〜三○年代に私どもの社会で幅を利かせたことがありましたが、この協会が 「入会の第一条件は名家に雇われていることである。ただし実業家や成金の家は名家とは認められない」との声明を出したことがございます。しかし私にはこれはじつに古臭い考え方だと思われます。
 「私が思いますに、自らの地位にふさわしい品格を不断に示すことこそ偉大な執事の条件ではありますまいか。並みの執事は、主人が少し大きなトラブルに巻き込まれ、執事の度量ががそのことによって試されるようなことが起きますと、それまでのプロとしてのあり方を投げ捨て、個人的な在り方に逃げ込みます。ちょっと動揺を与えられるだけで、たちまちうわべが剥がれ落ち、演技者のなかの「個人」という部分がむき出しになってしまうのです。
 「私がそうでありたいような偉大な執事は、ダーリントン卿のような本当の紳士がスーツを着るように、執事職を完璧に身にまといます。外部のできごとには――それがどれほど意外でも、恐ろしくても――動じません。たとえごろつき相手でも、名誉をもって身にまとっている執事職を脱ぎ捨てるようなことは絶対にいたしません。まさに品格の問題なのです・・・・・・・。」
 しかし、生活の隅々まで知っている従僕・スティーブンスにとっては真の英雄だったダーリントン卿は、第二次大戦の前夜、能力に比べて重すぎる役を演じようと張り切っていた。ダーリントン卿の周囲にはヒトラーの意を受けた駐英ドイツ大使・リッペンドロップ、英国首相チェンバレンと外相がいて、国際政治ではアマチュアに過ぎない平和主義者のダーリントン卿は彼らを自邸で会談させようとしていた。おまけに卿が尊崇する英王室は反ユダヤ主義グループと深い関係にあった。
 ・・・・・だが「執事階級を厳粛に生きようとする」スティーブンスにとってそのような世界情勢は「宇宙の外」のできごとであり、知ろうとすることさえ慎むべきことである。階級社会ということは、あらゆることがその階級内で完結すべきであり、階級外には一切持ち出し禁止なのだから。ダーリントン卿がリッペンドロップの前で冷や汗をかいたら、そっとハンカチを出すことだけがスティーブンスの「プロとしての仕事」なのだ。「本当の紳士」である卿が当時の世界情勢にどんなにトンチンカンでも、「品格ある執事」であるスティーブンスの意識はそのトンチンカンぶりを「見なかったこと」として自動的に処理できるのである。
 丸谷才一が「解説」で言うように、この作品での「英国の状態」の描かれ方はE・M・フォースターの長編『ハワーズ・エンド』によく似ている。 『ハワーズ・エンド』ではイギリス人の、自分にとって不都合な真実は意識外に隠ぺいできる国民性がこき下ろされるのだが、たとえば主人公のひとりマント夫人は次のような、「イギリス国民性を生身で生きる」人だった。
 <マント夫人は、妹の娘が婚約を破棄されて一度は陥った虚脱状態から、すぐに回復した。彼女は過去に起こったことを歪めて解釈する能力が非常に発達していた。だから、家系自慢というマント夫人の粗忽が今度の事件で演じた役割のことも、きわめて短い期間に、すっかり忘れてしまえるのだった。家路につく汽車の中では「婚約を破棄されたのが妹の娘でよかった。私の娘でなくて本当に良かった」と深く安堵するのだった。>(みすず書房版p32)

 ・・・・・・・一九五六年に年代設定された『日の名残り』は、筋立てと時間の運びなどに遺漏がなく、主人公と同僚の切ない恋も抒情性豊かで、楽しめること請け合いの長編である。全部を読み終わって、うすら寒い「病に取り付かれつつある英国の状態」を見わたせたときに初めて、「日の名残り」というタイトルの意味が理解できる。