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白石隆 ハウ・カロライン 「中国は東アジアをどう変えるか」(中公新書)1/2

 華夷秩序はいまも生きているか
 p27
 訒小平時代以前から、中国では対外強硬論が間欠泉のように噴出していた。訒小平江沢民はこれを抑え込み、「能力を隠して力を蓄え、力に応じて少しばかりのことをする」ことを対外強硬論者に許してきた。しかし胡錦濤は中国の大国化に伴いますます台頭する強硬論者に抗しきれなくなってきた。こうしたことの背景には、中国の政策決定中枢において、かつての訒小平江沢民のような圧倒的な実力者がいなくなり、外交戦略の戦略的合理性の名の下に国内のさまざまな「利益集団」を押さえ込むことが極めてむずかしくなっているという事情がある。
 これらの「利益集団」は、とりわけリーマンショック以降、中国は世界でもっともうまく危機を克服した、われわれはこれから中国中心の「天下」の秩序を作る、といった自信(慢心)と一緒になって、中国の対外政策を動かすようになっている。
 p134-8
 中国皇帝を世界の中心とする「華夷秩序」に基づく朝貢システムは、中華を占めた政権が他の政権を継続的な武力行使によって服属させるシステムではない。そういう「野蛮」なものではなく、中国皇帝を頂点とする「世界」の秩序を中央と辺境が共有することで、外交関係を円滑に管理しようとする制度だった。だから、朝貢システムにおいては、その秩序内で、すべての辺境政権の間に序列が形成された。貿易交渉、遭難者の送還などの実務的交渉も、この序列に基づいて、「礼」にしたがって行われることとされていた。
 たとえば「明」のムスリム宦官だった鄭和のあの大航海も、この朝貢システムの一環として考えたほうがいい。明朝の成立を南シナ海、インド洋に面する辺境国がことほぎ、礼物を携えて朝貢してきた。明の皇帝はその忠誠心を喜び、鄭和に命じて数万の官吏、軍人を百余艘の巨艦に乗せ、数々の珍宝をこれらの辺境国に下賜して、皇帝の恩徳を宣揚した・・・・・、これが一四○五年以降の鄭和の大航海の意義である。
 p165
 かつての朝貢システムの背景には、もちろん中国の圧倒的な軍事力があった。しかしもっと大切なことはその時代は、政治、経済、社会、文化のどの領域においても、 「形式的平等、自由、公平、透明性」という、今の私たちが当然のこととして受け入れている 「人間の条件」 が、当時まったく当然ではなかったことである。
 こうした、現代では当たり前すぎるような人間の条件や規範は、今に先立つこと二世紀にもわたる(帝国主義的膨張の副産物でもある)「アングロ・サクソン化=英語の世界語化」と「サイエンス=無根拠言説の排除」によって、ついこの間達成されたものである。
 そしていったん獲得された、合理的な条件や規範は、それを覆すあたらしい原理が発見されないかぎり捨てられることはない。
 その意味で、今の時代に、中国の経済的なものだけの台頭によって、世界的にはもちろん、東アジアにおいても、この秩序がラディカルに変わり、不平等と序列を一般原則とする二一世紀型朝貢システムが復活するとは考えられない。