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白石隆 ハウ・カロライン 「中国は東アジアをどう変えるか」(中公新書)2/2

 言語の力と「ハイブリッド・チャイニーズ」
 p170-175
 私たち日本人が使う「中国」という概念は輪郭のはっきりしないものである。同様に中国人、華僑、華人、華裔なども、彼らを範疇分けしようとすると、その意味がはっきりしなくなる。つまり日本語には英語で言うところの「チャイニーズ」にあたる言葉がない。・・・・・・・・。
 はっきりしていることは中国=チャイナと中華人民共和国は同じではないし、中華人民共和国がすべてのチャイニーズを代表しているわけではないことである。一九世紀半ば以降、中国(清)に対する脅威は海のアジアからやってきた。それが清国皇帝を頂点とする朝貢システムと地域システムの解体をもたらした。
 近代中国はこの「乱」の時代に生まれた。この時代にはまた、きわめて多くの人々がその沿岸地域から、タイ、ビルマカンボジア、ヴェトナム、ラオスインドネシアシンガポール、フィリピンなどに流出して行った。「チャイニーズ」はこれらの人々と流出先の人々の通婚によって形成されたきわめてハイブリッドな人々である。これらのハイブリッドな「チャイニーズ」は、みずからをチャイニーズと見なし、当該地の国家からもチャイニーズと扱われているが、中国の言語を地方語、標準語ともまったく使えない人はいくらでもいる。
 また、ビジネスの現場においても、ハイブリッドな「チャイニーズ」は中国語(普通話)を第一言語として使っているのではない。第一言語はイギリスと、イギリスからこの海洋地域の覇権を引き継いだアメリカの言葉である英語なのであり、英語、中国語(普通話)、方言中国語を自由に操るトリリンガルは彼らの中でなかで格別珍しい存在ではない。・・・・・・・・・・・。
 p176
 今日、中華人民共和国の政治、経済、社会、文化の体制を支える鍵概念の多くは日本語を経由した外国語からの翻訳語借用語である。このことだけでも、「チャイニーズ」のひとびとがいかにハイブリッドであるかははっきりするだろう。
 p186
 近代中国のハイブリッド化は海のアジアを介して進展した。言語的には英語と日本語によって媒介された。一九世紀末から一九三○年代にかけては、イギリスが海のアジアのヘゲモニーを掌握し、日本がときとともにこれに挑戦するようになっていた。日本と中国間の文化の流通は、日清戦争以後はっきり逆転し、この時代には、きわめて多くのチャイニーズが日本に留学した。その数は欧米に留学したチャイニーズよりも多い。
 彼らは日本語の翻訳語、日本語からの借用語を中国語に持ちこみ、「西洋」の概念を始めて言説のレベルで構築することができた。そしてこれに対置する形で「中国」という近代の概念も構築することができた。中国語の社会・経済・政治・哲学関係の借用語のうち、日本語からのものは七○%に達している。
 「共和国」「国民」「民族」「経済」「共産主義」「封建主義」「帝国主義」「植民地主義」「近代」・・・・・・、いかに現代中国の指導者が「中国四千年の高度文明」を語ろうとも、つい百七十年前、アヘン戦争の時代の知識階級はこれらの概念を一つも理解できなかったはずである。
 p197
 中華人民共和国の経済的発展は、たしかに大きなビジネスチャンスである。したがって、父祖が大陸を出て、いまビジネス第一言語として英語を流暢に話す「アングロ・チャイニーズ」の間でも、これからもっと多くの人たちが中国語(普通話)を学ぶようになるだろう。
 しかし、機会は大陸だけにあるのではないことを彼らはよく知っている以上、大陸のチャイニーズがかけらのモデルになることなどありえない。
 彼らが中国語(普通話)を学ぶとすれば、それは英語の次の言語として学ぶのである。自分たちの最大の資産は、バイリンガルトリリンガルとして、文化的、社会的、経済的、そして政治的に、現地の社会と国際社会のインターフェイスとなり、またどちらの世界でも自由に行動できることであると、かれらははっきりと自覚している。その今の資産をなげうって大陸中国に肩入れするほど、彼らはナイーブな存在ではない。