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グレッグ・スミス 「訣別 ゴールドマン・サックス」(講談社)

 JPモルガンやチェース・マンハッタンと並ぶ世界最有力投資銀行のひとつであるゴールドマン・サックス内部告発の本だ。そこで優秀な投資ディーラーとして栄進の道を登ろうとしていた三十四、五歳の著者グレッグ・スミスが、(日本でいえば課長時代に)それ以後の約束されたキャリアをすべて捨てて書いたらしい。
 ただ、南アフリカ出身のユダヤ人である著者グレッグ・スミスは根っからアメリカが好きな明るく快活なエリートであり、アメリカの良質なエスタブリッシュメントが作るビジネス組織の優秀さに芯からほれ込んだ人間である。だから内部告発書独特の暗さがなく、読むほうとしては助かる。(下品な話だが、退職時の著者の年俸は約五千万円。これに同額程度のボーナスが付いていた。)
 本書最後半で、著者はニューヨークタイムズゴールドマン・サックス内部告発する「読者論説」を寄稿するのだが、掲載をOKしたニューヨークタイムズ記者が著者にあえて皮肉に訊くシーンがある。「ウォール街はいつだって自社の収益第一だったんじゃないですか?単にグレッグ・スミスさんが浮世離れして青くさいだけなのでは?」。  「資本主義には、倫理的な境界線は可能な限り無視されてしかるべきで、また、顧客を騙すことは収益を最大化するのに必要だといった前提があらかじめ埋め込まれているとは、私にはどうしても思えない」(p438)と答える著者は、ウォール街の神に祝福されるかどうかは分からない、最良のユダヤ人なのだろう。
 p130
 著者の生真面目な倫理観は次の一節にもよく現れている。この倫理観は、少なくとも前世紀までは、日本の優秀な大企業でもほぼ共通して、リーダー足るべき幹部精神の根幹に据えられていた(と私は教えられた)ものだ。 「私・グレッグが入社したころのゴールドマン・サックスには「パイン・ストリート」というリーダー育成講座があった。私が特に尊敬していた上司はこの講座に合格していた。後になって知るのだが、この講座には「舞台・楽屋裏誠実度試験」なるものがあった。そこでは受験者は、ある企業のCEOに対するのと警備員に対するのとで、態度や話しぶりがどれだけ同じかを測定された。舞台上と楽屋裏で誠実度が変わらない、つまり相手の社会的な身分によって態度を変えないというのは、真に尊敬されるリーダーに見られる資質だ。私の上司は私の十段階は上だったと思う。そしてその事実に気がついていなかったように思う。」
 ゴールドマン・サックスに連邦証券取引委員会(SEC)の捜査が入る・・・
 p313-21
 二○一○年四月、著者の携帯にメールが入る。著者には信じられないことが書いてあった。「速報 証券取引委員会(SEC)がゴールドマン・サックスを詐欺罪で提訴。同社がサブプライム住宅ローンに関連したきわめて複雑な債権を設計して販売したことが、提訴の理由。SECによれば、同社はこの債権担保証券に関して、ポートフォリオを構成する住宅ローンを選定する上で大手のヘッジファンドが重要な役割を果たし、しかもそのヘッジファンドがこの債権担保証券の空売り契約をしていたという、決定的に重要な情報を証券購入者に提供していなかった。」
 ・・・・・・・・・。
 著者は多くの同僚たちと話しをする。しかし何が起きたかの確たる情報を入手したものは、誰もいない。トレーディングフロアに飛びかう風説は、ゴールドマン・サックスが複数の債務担保証券(大量のサブプライム住宅債権を一本化してから、細切れにしたもの)をもとにして数学的に合成した商品の一つが引っ掛かったらしいというものだった。
 ゴールドマン・サックス社内では、当然ながら 「なぜウチだけが? リーマンブラザーズこそ追及されるべきではないのか? メリルリンチベアー・スターンズだって、会社を潰して株主の大損をさせているではないか? ウチだけがうまくいっていることに対するやっかみじゃないのか?」という声が上がった。
 「連邦政府が不良資産救済計画を使って大手銀行を救済してからというもの、誰かが危機の責任を取るべきだというざわめきが、世界中から聞えていたじゃないか。金融界の大物の血を見ないと収まらないということになったのさ」 というわけである。要するにゴールドマン・サックスの企業全体が防衛的になるだけで、だれも反省などしていなかったのである。
 ブッシュ政権の財務長官ポールソンはゴールドマン・サックスのCEOから転進した男だった。サブプライムローン騒ぎのとき、ポールソンの後任CEOロイド・ブランクファインらは連邦議会上院の調査小委員会に呼ばれて油を絞られ、世界中の顧客から非難されたが、ゴールドマン・サックスは結局破綻しなかった。ゴールドマン・サックスやJPモルガンやシティグループは、破綻させるには世界金融界への影響が大きすぎる会社だったのだ。資本主義オオトカゲは尻尾は切れても、胴体を真っ二つにして殺すと、世界がその毒で死んでしまうのだ。
 p271 
 そして今も、ウォール街の金融機関は複雑なデリバティブを組み立てて、ギリシアやイタリアなどの政府が政府債務を隠して国家財政を健全に見せかける手伝いを続けている。こうした取り引きで金融機関が手にする手数料は、総額で何億ドルにもなっている。それがウォール街の大物営業マンの3億円超のボーナスに化けている。そしてしかもこれは結局、その国と地域の財政問題を先送り効果しか持っていないのである。この問題の先送りこそが、今日の欧州政府債務危機の主要な原因なのだ。
 本山美彦氏は『金融権力』(岩波新書 二○○八年・本ブログ 2010年9月21日付)のなかで、債務担保証券の犯罪性について次のように警告していた。 「サブプライムローンを混ぜ合わせた証券化債権こそは、ハイリスク・ハイリターン投資のシンボルであり、ジャンク債Dであるはずだった。これをAAAに格付けするS&Pとムーディーズの手法にはいかがわしさが漂う。早晩、司直の手で真実が明らかになるだろう。」(p149)