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マイケル・ギルモア 『心臓を貫かれて』 (文春文庫)2/2

 p40−1
 ゲーリーやマイケルはアメリカ・ユタ州ソルトレーク近くの小さな町で育った。母親ベッシーの実家は、この土地にふさわしい敬虔なモルモン教徒だった。モルモンの主要経典は、創始者ジョゼフ・スミスによって一八二○年代に書かれた『モルモン書』である。
 著者マイケル・ギルモアに言わせれば、『モルモン書』は、同じ時代にアメリカ人によって書かれたテキストや小説の中では、今でも輝かしさを保っている数少ない例の一つである。スミスの言によれば『モルモン書』は神に使わされたモロナイという天使が彼に示した一揃いの古代の金版から書き写されたものである。金版には古代のアメリカに住んでいた人々の歴史と、彼らとイスラエルの神々とのかかわりが示されていた。要するにスミスは長い間失われていた旧約聖書新約聖書の聖なる結合を見出したと主張したわけである。 それ以後百六十年にわたってモルモン教は現代において最も発展を遂げた宗教の一つになった。
 『モルモン書』は多くのアメリカ人の心に大きな衝撃を与えたし、今もなお与え続けている。その中心的な魅力を読み取るのは、別にむずかしいことではない。聖書から借用してきたうわべの部分を取り払ってしまえば、『モルモン書』に残るのはアメリカ人の大好きな二つの主題――家庭と殺人――を扱った活劇以外の何物でもない。
 p105−6
 マイケルの母親ベッシーはユタ州ソルトレイクの近くで育った。ソルトレイクの近郊では処刑が時々一般に公開されていた。何百のあるいは何千という数の見物人が集まることもあった。人々が死刑見物に集まるのは 「父親と母親が家族に死の姿を目撃させ、神聖な神の法を破ったことによって支払われる容赦なき代価を子供に目撃させる」 というのが表向きの目的だった。
 ・・・・・・・、ある日、ベッシーの話によれば、刑務所の近くの草原で、ひとりの哀れな男が縄と執行人の待ち受ける処刑台の階段を上っていくのを目にした。そして、床板がバタンと落ちて、間髪をおかずぼきんという恐ろしい音が聞こえた。ロープに男の全体重がかかって、首が折れる音だ。
 そのあとにもっと嫌な音が聞こえた。人々が拍手をし、歓声をあげていたのだ。母たちの一家が引き上げるとき、ちらりと後ろを振り向くと、男の身体が縄に下がってふらふらと揺れていた・・・・。

 マイケルの母親ベッシーはそういう家庭で育ったのだが、父親フランク・ギルモアは広告詐欺を本職とするまあまあハンサムな男だった。頭は悪くなく、「仕事」もよくできて、アメリカ男の半分が本気で信じているという「ハード&タフ」をモットーにしていた。おまけにフランク・ギルモアは、日本人には想像も難しいほど女好きで、ベッシーと結婚するずっと以前から全米各地に女を作っていた。しかもいかにも詐欺師らしく、几帳面にその都度偽名を使って、一応各地に「家庭」をもって、子供まで作っていた。
 フランクがベッシーと結婚する前に全米各地を転々としていたのには理由があった。仕事が広告詐欺だから一か所に落ち着いていては、すぐに捕まってしまうからである。
 結婚後ベッシーにもわかってきたのだが、ある町に落ち着いて彼がまず最初にやるのは電話の設置だった。数ある偽名の一つを使ってホテルの部屋なり、アパートなりに電話を引いた。それからいろんな会社に顔を出して、やがて出版される予定の雑誌や特別出版物のための広告を売り込んだ。それがどのような雑誌になるかというサンプルを見せ、名刺を残し、ホテルに戻って広告掲載の申し込みの電話がかかってくるのを待った。ときおりベッシーに電話をとらせ、秘書のふりをさせた。コリアという偽名を使っている場合には「もしもし、こちらはミスター・コリアのオフィスです」とか「もしもし、こちらはミラー・パブリケーション、フランク・コリアのオフィスでございます」とか彼女はよどみなくこたえた。それからフランクが出向いて行って広告原稿を受け取り、広告費の全額かあるいは前金を受け取った。雑誌が出版されることはもちろんない。フランクは金を受け取ると、すぐに別の場所に移動した。このような広告詐欺の手口は「ハンドレッド・パーセンティング」と呼ばれた。売り手は金をまるごと着服できたからだ。

 ベッシーがこんなフランクのどこが気に入ったのか。説明はきわめて簡単だ。まあまあ美人のユタの田舎娘は単純に「男が好き」だったのである。本書最終章には、この母親のセックス好きがもたらした心ふたがれる秘密の話が、末っ子である著者マイケルによって悲しく語られている。兄弟出生についてのショッキングな内容だ。ゲーリーやマイケルの一番上の兄フランク・ジュニアは、父フランクが昔どこかで誰かに産ませたロバート・イングラムという青年とマイケルの母ベッシーが交わってできた子だったのである。それも、母ベッシーに言わせれば、「こんなにハンサムな子ってちょっといなかったから」という理由だけで。
 村上春樹は「あとがき」の最後で語っている。
 ギルモア家の呪縛と悲劇は・・・・もっと大きな視野で括るなら、アメリカという国家の呪縛と悲劇の再現でもある。両者に共通したテーマは愛と暴力だ。激しい愛と、激しい暴力。死刑囚ゲイリーは常に愛を求めるが、多くの場合、それは暴力で報いられる。その結果彼は、愛を求める作業と暴力の発露を、同一の根を持つ行為として捉えるようになる。深い情愛と、目を見張るような残忍さは、ゲイリーという人間の精神の中でごく自然に並立するようになる。一つのコインの裏と表である。
 アメリカも同じだ。歴史的に見てアメリカそのものが、激しい暴力によって勝ち取られ、簒奪された国家であることを思えば、その呪いが今ある人々を激しく規定することも、また理の当然であるといっていいかもしれない。アメリカの建国にあたって人々が光として高くかかげた、理性と整合性への愛は、結果的に暴力によって報いられることになった。そしてもたらされるのは、圧倒的なまでの荒廃だ。