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大嶋幸範 新聞から  「二:八の法則」

 先月、八月二十二日の朝日新聞に「心の病、おびえて働く」という大き目の記事があった。本文は以下のような内容だった。
 「サラリーマンの心の病が増えているのは、長時間労働やリストラへの不安が、働き手をメンタルヘルス(心の健康)の不調に追い込んでいるためだ。・・・・・・・・サラリーマンの心の病が増えているのは、バブル経済崩壊後の一九九○年代からと指摘する声もある。過去三十年ほどの医療保険の利用状況を調べた神戸大学大学院の山岡順太郎研究員は「心の病の受診は九○年代後半から増え、最近十年間で倍増した」と語る。・・・・・・・企業の産業医を務める、労働科学研究所の鈴木安名協力研究員は「管理職と部下とが十分にコミュニケーションをとれなくなったことが、心の病の背景にある」と分析する。人員削減で職場が忙しくなり、管理職が一人ひとりの部下に配慮できなくなったという。」
 この記事には東京医科大学がまとめた「職業性ストレス簡易調査票」がついていた。「あなたのストレス度は?」と題して、□のついた六つの項目についてチェックできるようになっている。1□非常にたくさんの仕事をしなければならない  2□時間内に仕事が処理しきれない  3□一生懸命働かなければならない  4□かなり注意を集中する必要がある  5□自分の部署内で意見の食い違いがある  6□自分の部署とほかの部署とはうまが合わない ・・・・・・の六項目である。
 記事のタイトルが「心の病、おびえて働く」なのだから、全体が「サラリーマンは被害者である」というトーンで書かれているのは、ひとまず措く。 どうしても気になるのは東京医科大がまとめた 「職業性ストレス簡易調査票」の中身である。 意地の悪い言い方をすれば、1から4までは、「仕事の処理が遅く、注意を集中して懸命に働くのが苦手」な人たちを温かくフォローしようということだろう。 5と6は、「自分のまわりに意見の対立があると平常心を失いやすい」 人たちを温かくフォローしようということだろう。
 企業の現実の職場には、「仕事の処理が遅く、注意を集中して懸命に働くのが苦手な」人や、「自分のまわりに意見の対立があると平常心を失いやすい」人が非常に多くいることは事実だ。平均的な会社では、そうした人たちの方がそうでない「心の丈夫な」人たちよりも多いのだろう。また、いわゆる「心の病」が一九九○年代後半から増えたことも事実だろう。世界経済のグローバル化が進んだのは一九九○年代後半からであり、それ以来日本企業は生産コストの削減のために人員削減・スピードアップ・品質向上という相矛盾する大目標の必達を迫られたからである。
 しかしながら、大多数の職場には「二:八の法則」という、サラリーマンにはよく知られた「法則」がある。「できる二割ができない八割を支えている」という法則である。この法則は、洋の東西を問わず、時の古今を問わない真実である。日本でも西洋でも、中世も、近代も、現代も、どの職場でも、「仕事のよくできる人」は二割しかいない。東大教授会でも、市役所窓口係でも、高齢者介護施設でも、新聞社編集局でも事情は同じである。「業績」のほとんどはその二割の人たちが上げるものである。
 1から6までの六項目にすべてチェックが入るような人たちは、この「二割」に入ることができない。よくて、この二割の人たちがこぼした仕事を売り上げるか、誰でもできる雑用を引き受けるかしかできない。
 この二割の人たちと八割の人たちには、際立った特徴の違いがある。二割の人たちは「自分たちは給料の割に働かされすぎている」とはあまり思っていないのに対し、八割の人たちはそう思って憤っていることである。直感的には逆のように思えるが、よく考えると、二割の人も八割の人も、言い分にはそれなりに筋道が通っている。
 なぜなら二割の人は元来「よくできる」のだから、彼(女)はたいていの仕事をスムーズに、時間内に、正確に遂行できる。したがって「給料の割に働かされすぎ」とは感じない。八割の人についてはこの反対に、多くの仕事について渋滞を起こし、間違いを何度も修正させられ、時間内に仕上げられないのだから、「自分は働かされすぎ」と感じてしまう。
 人間は自分が何を知らないかについては無頓着である、というのはソクラテス以来の真理である。だから八割の人が自分を買い被っているのは仕方のないことだろう。これは、正真正銘の肉体労働以外の職場にすべてあてはまる、実に冷厳な法則なのだから仕方がない。私たちはそのように生まれついている。
 このやるせない法則を目の前にしたとき、1から6までの六項目にすべてチェックが入るような人たちはどうサポートされるべきだろう。ただ一つ言えるのは、朝日新聞のような載せ方で東京医科大の「職業性ストレス簡易調査票」を紹介することは、心弱い読者の被害者意識をあおるだけということである。そしてあおられた被害者意識は、必ず「では、悪いのは誰なのだ」と犯人捜しを始める。犯人は「グローバル化した世界経済」以外にいるはずがないから、疑いつつも自分を恃む心弱い「被害者」は犯人を捜しあてられない。・・・・かくして、心の病におびえて働くその人の症状は深刻になるだけである。
 それにしても、株式会社朝日新聞社に「心の病におびえて働く」従業員はどれぐらいいるのだろうか。記者には、「弊社のことで恐縮だが・・・・・」と、朝日新聞社の現状を記事の後半でリポートしてほしかった。