アクセス数:アクセスカウンター

阿部謹也 『世間とは何か』(講談社現代新書)

 ウィキペディアを見ると、著者阿部謹也氏には非常に多くの著作がある。専門は西洋中世史のようだ。「「世間」をキーワードに、「個人」が生まれない日本社会を批判的に研究し独自の日本人論を展開、言論界でも活躍した」とある。一橋大学学長、国立大学協会会長等を歴任したらしい。
 本書の最後にある参考文献には100冊に近い著作があげてある。200ページほどの新書にしては大変な参考文献量である。その博識な阿部氏が本書の冒頭近くで、「この百年の間わが国においても社会科学が発展してきたが、驚いたことに(わが国の社会を論じるうえでとても)重要な世間という言葉を分析した人はほとんどいない」と慨嘆している。
  阿部氏は、前半部において、とり方によっては実証性に乏しいにもかかわらず、ラディカルなことを言う。 「社会という言葉を日常的に用いるのは大学やマスコミや公文書だけである。そのおかげで、わが国にも欧米流の「社会」があるかのように見せかけられている。しかし、一般の人々は社会という言葉をあまり使わない。日常会話の中では相変わらず世間という言葉を使いながら、独特の構造を持った「世間」の中で暮らし続けている」ということである。その「独特の構造を持った日本の世間」の例がいくつかあげられる。「世間を騒がせたこと」に対する「罪の意識」は、その「日本の世間」の代表的な存在証明である。
 P20
 政治家や財界人などが何らかの嫌疑をかけられたとき、しばしば「自分は無実だが、世間を騒がせたことについては謝罪したい」と語ることがある。この言葉を英語やドイツ語などに訳すことは不可能である。西欧人なら、自分が無実であるならば人々が自分の無実を納得するまで闘うということになるであろう。ところが「日本人は世間を騒がせたことについては」謝罪してしまう。つまり日本人にとって世間は社会なのではなく、自分が加わっている比較的小さな人間関係の環なのである。自分は無罪であるが、自分が疑われたというだけで、自分が一員である環としての世間のほかの人々に迷惑がかかることを恐れて謝罪するのである。
 日本人は、自分の名誉より、自分が一員として参加する世間の名誉のほうを大事にしているのである。岡本公三が捕われたとき、父親は自分の息子を極刑にしてほしいと語ったといわれている。わが子に極刑を望む親がいるだろうか。もしそう言わなければ父親の立場がないからなのである。私たちはみな何らかの世間の中に生きている。その掟を守って生きているのだが、何かのはずみで世間から後ろ指を指されたり、世間に顔向けができなくなることを恐れている。私たちは気がついていないかもしれないが、皆世間に恐れを抱きながら生きている。
 上記のp20の一節を、表面を滑るようにさらさらと読めば、何も問題になることは書かれていないように思われる。「世間」とは氏の言うように恐いものであるし、日本の「世間」は西洋の「社会」とは違って、自分自身が鎖の環の一つをなしているところの「閉じられた利益団体」のようなものであるとも思う。だからこそ政治家や財界人などは「自分は無実だが、世間を騒がせたことについては謝罪したい」と語るということも、阿部氏の言うとおりだろう。
 しかし、上記の文章の中で、岡本公三父親の気持ちに触れた部分について、話の理路に大きな乱れはないだろうか。「日本人は、自分の名誉より、自分が一員として参加する世間の名誉のほうを大事に」すると書きながら、その直後に「わが子に極刑を望む親がいるのは、もしそういわなければ父親の立場がないからなのである」と書くのは、あきらかな撞着ではないだろうか。この場面で岡本公三父親は「世間」を重んじているのか、「(世間の中での)自分の立場」を重んじているのか。つまり重んじているのは「内なる自分」なのか「外なる世間」なのか。または、日本人にとっては「自分」と「世間」の境界がない、ということを阿部氏は言いたいのか。
 揚げ足を取っているのではない。阿部氏は大学者なのだろうが、本書には10か所以上、何を言おうとしているのかが不明なところが出てくる。大きなところで言えば、最終章の「金子光春」の項(約25ページ)などは、世間とは何かを問うにあたって、どういう理由があって入れたのかさえ分からない。金子光春は阿部氏の知人らしいが、彼は少々変人の詩人であるだけである。それまで阿部氏が吉田兼行や井原西鶴夏目漱石に生き方に沿って日本における社会観と世間観の変遷をたどってきた200ページと、金子光春という著者の個人的な知り合いの変人の半生とはほとんど関係がない。

 後半のp202あたりで、阿部氏は漱石批判を展開している。次のような包括的な批判である。
 「彼の作品には現在までのわが国が抱えてきた、個人と社会の関係の問題が示されている。漱石はこれらの問題に対して作品の中では世間や社会に背を向けた立場を選んでいる。彼の小説の主人公はほとんど社会や世間の中で主要な地位を得ていない人たちである。現実には、漱石の家に集まった人々の中にはあとで日本の知的世界を背負っていくことになる多くの人物がいたが、作品の中ではそういう構図にはなっていない。」
 「藤村や漱石のころ、世間という概念は(ほぼ現在と同じ意味の)現実的なはっきりとした輪郭を持っていた。それれにもかかわらず、漱石は社会と世間の区別をなしえなかった。・・・・・西欧流の社会という概念をわが国にそのまま仮定し、それに日本の個人を対比させたところに漱石の問題があった。」というものである。 
 この本は、「あとがき」まで丁寧に読んでも、阿部氏は読者に対して、日本の「社会」と「世間」のあり方をどう提示しようとしているのかがよく分からない本である。その、自身が本書で何を言いたかったのか不明という大学者の知性の不思議さが、上の奇妙な漱石批判によく表れている。
 漱石の小説の主人公と漱石門下生とで社会的地位に違いがある」という難癖みたいなものはこの際聞かなかったことにしよう。 しかし、阿部氏が内容に踏み込んでいる『吾輩は猫である』でも『坊ちゃん』でも『それから』でも、「漱石は社会と世間の区別をなしえなかった」と言うが、それはあまりに独断的なのではないか。これら三作品の主題はすべて明らかなはずである。それは阿部氏が本書のタイトルとした(牢乎たる日本社会の)「世間とは何か」そのものである。 「表面だけなだれを打って開化した文明「社会」の内実たる「世間」とはなにか」が主要作品において問われていることなど、漱石を少しでも読んだ人なら当たり前のことではなかろうか。
 阿部氏は漱石の「社会の見方も到底鋭いとはいえない」と大胆なことも言っている。「社会を鋭く」見ている作品とはどんな作家のどんな作品だと言いたかったのだろう。本書中では島崎藤村の『破戒』が好意的に取り上げられているが、阿部氏は小説をプロットでしか読めないタイプだったのだろうか。 生真面目な歴史家にありがちなこととして、珍野苦沙弥先生というカリカチュアよりも差別の暗闇にうずくまる丑松のほうに、明治期の人間像としてのリアリティを感じたのだろう。しかしその読者としての「好み」と作家の「社会を見る鋭さ」は別次元のものだ、というのは大学の先生としてごく常識に属するものではないだろうか。鬼籍の人に文句を言っても始まらないが。