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プルースト 『失われた時を求めて』 第一篇「スワン家のほうへⅠ」

 昔、新潮社・井上究一郎訳の8巻本を買って読み始めたわたしもそうだったが、『失われた時を求めて』を読もうとする人は最初の10ページほどで挫折する。岩波文庫の今回の新訳でいうと、有名な「ながいこと私は早めに寝むことにしていた」という書き出しから36ページの中ほどまで、本文が始まってわずか11ページ分ほどである。
 この冒頭だけが語り手のいつのシーンなのか分からず、以後どんな筋が動き出すのか暗示さえもない。しかも改行はほとんどなく、ワンセンテンスがとても長く、主語と述語の間が10行もあったりする。もちろん会話体は一切ない。これは、後の数千ページを考えると、相当しんどい事態である。

 今回の岩波文庫版の翻訳者吉川一義京都大学教授は、我慢は36ページまででよいとはっきり知らせてくれる。その36ページに1行アキがあって、それから以降、両親と祖父母と大叔母たちがいる19世紀のおかしなフランスブルジョア家庭に育った「わたし」の「心のなか」がゆっくり流れ始まる、と教えてくれる。吉川教授はこの36ページまでについても、その意味付けを冒頭に解説し、読者をいらつかせたり挫折させないようにしてくれている。吉川教授の簡明にして直截、自在にして達意な日本語によって、プルーストはものずきな研究者だけの、敬うけれども遠ざけておきたい宝物ではなくなった。見開きの左ページについている訳注も丁寧で簡潔、過不足がない。
 この子供の「心の流れ」はサルトル『言葉』の幼年時代のものとほとんど同じである。『失われた時を求めて』でも、十歳前の子供の「心のなか」を後年の「私」が「流れ」に再構成しているのだが、子供の「心のなか」はそのままを記述しても大人が理解できる「意識」にはなりようがなく、プルーストサルトルも、「九歳なりに、崩壊した世界の底から不可能な『理念』を観想している」ような子供を書く。つまりすべてが未成熟なかわりに、善も悪も他人の行為を見つめる視線も、すべて芽吹いて揃っている 「小さな大人」 を書く。
 この「心の流れ」とは文法も時制も無視し、読者の想像を超えてかって気ままに自動記述されていくようなたぐいのものではない。プルーストには読者の理解をあえて拒絶するような難解ぶったところはない、これまでの日本語訳でそう思われてきたのは翻訳者が「厳密な意訳」をしてこなかったからだ、ということを吉川一義教授の訳文は見せてくれる。
 p107 
 今、日本の小説家の誰が以下のような文章を書けるだろう。プルーストが『失われた時を求めて』を書いてからは、「以後、小説家は波瀾万丈のプロットづくりに精を出すしかなくなった」と極言されるのがよく分かる。それは、
 「母は、文章をふさわしい口調で読むにあたり、言葉では示されていないが、文章が生まれる以前に存在し、その文章を書き取らせたはずの温情あふれる調子を見出した。その調子のおかげで朗読中の母は、動詞の時制にありがちな乱暴なところを和らげ、半過去と定過去に、善意に含まれる優しさ、愛情に含まれる憂愁を注ぎ込み、終わりかけの一文をつぎに始まる一文へと導き、シラブルの進行を速めたり弛めたりしては、長さの異なるシラブルを単一のリズムに吸収し、ジョルジュ・サンドのありふれた散文に、いわば情感あふれる持続的生命を吹き込んだのである。」  というような文章のことを指す。
 p109−10 
 育ったコンブレーは、ながいこと、私にとっては七時に上らなければならない二階の自分の部屋と階下の母のいる客間だけでできているように回想された。かりに問いただす人がいたら、私とて、コンブレーにはほかのものもほかの時間も存在していたと答えたであろう。だがそんなふうに想い出したとしても、それは意志の記憶、知性の記憶によって提供されたもので、それが過去について教えてくれる中に過去はなんら保存されていないので、私としてもほかのコンブレーをけっして想いうかべようとしなかっただろう。われわれが過去を想いうかべようとしても無駄で、知性はいくら努力しても無力なのだ。
 p111・115
 失われた時を求めて』の中でいちばん有名かもしれない 「マドレーヌの匂いの記憶」 はこの第一巻に出てくる。たしかに『失われた時を求めて』らしい挿話ではあるのだが、このようなことは第二巻以降も、いくらでも出てくる。なぜ第一巻のこれだけが有名なのだろうか・・・? 
 コンブレーに関するすべてものをよみがえらせたのは、後年、レオニ叔母が出してくれた一切れのマドレーヌの匂いである。それは、幼いころ風邪気味の私に母が紅茶といっしょに勧めてくれたひとかけらのマドレーヌにまつわる記憶だった。そのひと口が口蓋にふれたとたん、わたしは身震いし、小さなわたしは内部で尋常ならざることが起こっているのに気づいた。えもいわれぬ快感が私に中に入り込み・・・・・・人生の災厄も無害なものに感じられ・・・・・・もはや自分が凡庸な偶然の産物で、死すべき存在だとは思えなくなった。人びとが死に絶え、さまざまなものが破壊されたあとにも、ただひとり、はるかに脆弱なのに生命力にあふれ、はるかに非物質的なのに永続性がある・・・・・そのようなものこそ、匂いと風味である。
 p194 
 次の数行も、サルトル『言葉』に書かれてあってもまったくおかしくない章句である。サルトルプルーストを深く読んだというよりは、こういった内省の仕方が、フランス知識階級には一般的ということなのだろう。
 私の思考こそ、もうひとつの隠れ家といえるのではないか。わたしはその隠れ家の奥にもぐりこんで外のできごとを眺めている気がする。自分の外にある対象を見つめるとき、それを見ているという意識が私と対象のあいだに残り、それが対象に薄い精神の縁飾りをかぶせるため、けっして対象の素材にじかにふれることができない。・・・私のうちに存在したもっとも内密なもの、把手のようにたえず活動して残余のすべてを統御していたささやかなものは、読んでいる本の哲学的豊穣さ、美点に対する信頼であり、それをわがものとしたいという欲求であった。・・・真実と美のなかば予感され、なかば理解不能なところを認識するのが、漠然としているとはいえ永久に変わることのない私の思索の目的と思えたのである。
 そのような意識のなかに同時に併置されるさまざまな状態を内から外へとたどりつづけ、それらを包みこむ現実の視界に到達する前に最後に私が見いだすのは、たとえばサン=チレールの鐘塔で時を告げる鐘の音や、フランソワーズが用意してくれるおいしい食事という別のジャンルの楽しみだった。
 p260
 (衰弱し、少し頭のおかしくなっていた)大叔母は、私たち家族のことは心底から愛していたが、その死を嘆き悲しむことにも喜びを感じたはずである。気分がよく汗もかいていないときなど、家が火事だという警報が舞い込むことは、しばしば叔母の期待にとり憑いたに違いない。そうなれば長期にわたる哀悼のなかで家族に対する自分の愛情を味わい尽くすことができるうえ、村中が唖然とするなか喪主をつとめ、今までは打ちひしがれた瀕死の老人が健気にきちんと立つ姿を見せられるという副次的利点もあったからである。
 大叔母が、孤独のなか、えんえんとカードの一人占いに熱中しているとき、きっとこの種のできごとの成就を期待したにちがいないが、もちろんそんなことはいっさい起こらなかった。二度とその口調を忘れることができない悪い知らせに刻印されている現実の死は、論理的で抽象的な死の可能性とはまるで異なるからである。
 p309
 スワン家の娘ジルベルトに初めて会ったときの少年・「私」のまなざしの精密な描写。
 私のほうも少女を見つめた。最初のまなざしは、目の代弁者というだけでなく、不安で立ちすくむときには全感覚がまなざしという窓に動員されるように、眺める相手の肉体とともにその魂にまで触れ、それを捉えて連れて行こうとするまなざしである。ついで第二のまなざしは、祖父と父がいまにもこの少女に気づき、自分たちのすこし前をさっさと歩くように命じて私を遠ざけるのではないかと怖れたからであろう、少女が私に注意をはらい、私と知り合いになるよう、無意識のうちに懇願するまなざしになった。
 p315
 「スワン」という名前を聞くと私はようやく一息ついた。それほどこの名前は私の心が窒息するほど重くのしかかっていた。その名前がほかの名前より中身が詰まっているかに感じられるのは、前もって私が心のなかでそれを口にした回数分だけ重くなっていたからである。
 p347
 心の底の裏の裏を三回ほどひねりまわした後の「素直な思い」を正確に記述できるプルーストの技術。夏目漱石も同じレベルの熟練の技を『明暗』の中で、読むほうがつらくなるほど使っていた。
「開けときなさいよ、暑いの」と友だちが言った。
「だって困るでしょ、見られたら」とヴァントイユ嬢が答える。
 しかしヴァントイユ嬢は、友だちのほうは、自分がそう言ったのは相手をそそのかして返事として別の言葉を言わせるためで、その言葉が聞きたい本心は深く包み隠しておいて相手が率先してそれを口にするのを期待していると考えるだろう、と推察した。