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夏目漱石 『吾輩は猫である』(岩波文庫)1/2

 言わずと知れたデビュー作。たった四九歳での絶筆『明暗』よりは少し短いが、漱石全作品中二番目の長編であり、少し小さい活字を使いながらも五○○ページを超える大作である。トルストイ戦争と平和』やゲーテ『ウィルヘルム・マイスター』といった説教本などよりは、はるかに質が高い。十ページに一度は頬がゆるみ、三十ページに一回は大笑いさせてくれる。
 一九○六年発表の『猫』以後、『坊ちゃん』から一九一六年の『明暗』まで、粒の揃った作品を書き続けた漱石がなぜ、ノーベル文学賞候補にさえならなかったのか、読みながらふとそんなことを思った。
 ウィキペディアで調べたら、ノーベル文学賞は一九○○年から始まっているが、最初の十年間で私の知っているのはキップリング(受賞時四一歳)だけである。あとの九人は名前も知らない。一九一○年から漱石の死んだ一六年までは、メーテルリンク(四九歳)、タゴール(五二歳)、ロマン・ロラン(四九歳)など、さすがに私でも知っている劇作家・詩人・小説家が続いている。
 『猫』、『虞美人草』、『三四郎』、『それから』、『こころ』、『道草』、『明暗』などの作品は、日本人にし分からない「日本の世間」だけを書いたものではあるまい。それらはヨーロッパの文明に追い縋ろうとして生まれた喜劇と悲劇をおかしく、または重々しく、または痛切な文体をもって描いたものである。キップリングやメーテルリンクロマン・ロランに比べて格が下であるとは思えない。ましてあの川端康成とは作品世界の幹の太さがまるで違うではないか。
 日英同盟でイギリスの後ろ盾を得て欣喜していた時代、ノーベル賞委員会の人間にとって日本は、黄色い顔をした小猿の国にしか過ぎなかったのだろう。開国してたったの五十年、かの国に「西洋風」文学などがあろうとは考えもしなかっただろう。夏目漱石が、一九○○年から三年間ロンドンに留学し、日本人をことさら蔑んでいるかのような「劣位国民」の被害者感情に悩んでいたことなど、知りもしなかったと思われる。
 賀川豊彦という人が一九四七、四八年の二度、候補にあがっている。誰かと思ってウィキペディアを読むと大正・昭和期のキリスト教社会運動家である。これで合点がいった。この時代、キリスト教に理解のない作家はその時点ですでに、ノーベル賞委員会にとって埒外だったのだ。
 それどころか漱石は大の宗教嫌いとして有名である。その嫌い方は、キリスト教イスラム教、仏教と宗派を問わないだけではない。神父、牧師、坊主、尼僧という人種もすべてダメである。本書の一七七〜八ページにはキリスト教の神概念への挑戦とでもいえるようなパラグラフがあるが、その「人間創造」をめぐる漱石新発明の概念は諧謔たっぷりの冗談のようなものである。人間の顔かたちのあまりの多種多様さについて「吾輩」は言う。
 「一代の名人画工が精力を消耗して変化を求めた顔でも十二、三種以外にできることがないのを以て推量すれば、目・鼻・口・耳というこれだけ簡単な材料でかくまで異様な顔を思いついたと思うと、人間の製造を一手に引き受けた神の手際は格別なものだと驚嘆せざるを得ない。到底人間社会においては目撃できぬ技量だから、これを全能的技量といっても差し支えないであろう。・・・・・・・・
 「しかし猫の立場からいうと同一の事実がかえって神の無能力を証明しているとも解釈できる。もしぜんぜん無能でなくても、人間以上の能力は決してない者であろうとの断定ができる。なぜなら、吾輩ほどの無思慮のものでも、神は当初から成算があってこれだけ多くの顔を製造したものか、または猫も杓子も同じ顔をに作ろうとしてやりかけてみたが、到底うまくいかなかくて出来るのも出来るのも作り損ねて、この乱雑な状態に陥ったものか、そこのところが分からんではないか・・・・・・。」
 まったくそこのところは新旧聖書にも言及がない。ヨーロッパのカチカチ思考の評論家が読んだら、怒りで顔を真っ赤にするか、「猿め!」で斬り捨てていただろう。まあ、もっともその前に、江戸末期の寄席で聞く名人落語の与太話のような苦沙弥、迷亭の文明論は、はたして当時の西洋人に理解可能であったかどうかは分からない。
 主人公・珍野苦沙弥先生は 『猫』以降の漱石のほとんどすべての小説に登場する「高等遊民」の先駆けである。高等遊民として、「狆のクシャミ」のように世の中に何の影響ももたらさないナイーブ人士である。下のような世間と世界の狂騒に取り巻かれて、右に行って小突かれ、左に行って足を踏まれると、それだけで狂ってしまいそうな 「小心者」でもある。そのことを「吾輩」が冷静に観察する。
 p369-71  苦沙弥先生の独白。
 「自分が感服して、大いに見習おうとした八木独仙(山羊髭の独善仙人?)君は、迷亭の話によると別に見習うことも及ばない道学者人間のようである。のみならず彼の唱道するところの人生消極説は、迷亭のいう通り多少瘋癲的系統に属してもおりそうだ。いわんや彼はれっきとした気違いの子分を有している。はなはだ危険である。あの、自分が文章の上において驚嘆し、これは偉人に違いないと思い込んだ立町老梅(たちまちろうばい!)は独仙君の弟子ではないか。そして立町老梅は巣鴨の瘋癲病院に起居しているというではないか。
 「ことによるとこういう自分も、少々御座っているかもしれない。同類相集まるというから、気違いの説に一時といえども感服した以上は、自分もまた気違いに縁の近い者であるだろう。・・・・・・・・なるほど考えてみると、このほど中から、自分の脳の作用は我ながら驚くくらい奇上に妙を点じ、変傍に珍を添えている。
 「自分の意志の動いて行為となるところ、発して言辞と化するあたりには、不思議にも中庸を失した点が多い。舌上には竜泉がない。腋下には清風が生じない。歯根には狂臭がある。・・・・・いよいよ大変だ。ことによるともう立派な患者になっているのではないかしらん。まだ幸いに人を傷つけたりしていないから東京市民として存在を許されているだけではなかろうか。・・・・・脈には変わりはなさそうだ、頭の熱も大丈夫だ、しかしどうも心配だ。
 「こう自分を気違いとばかり比較しているから、気違いの領分から脱することができないのだ。これは方法が悪かった。・・・・健全な人を本位にしてそのそばへ自分を置いてみたら、あるいは反対の結果が出るかもしれない。それにはまず、手近の世間から始めなくてはいかん。第一に寒月君はどうだ。朝から晩まで理学博士になるために、レンズの球ばかり磨いている。あの君は健全ではない。第二に迷亭はどうだ。あれはふざけまわるのを天職のように心得ている。まったく陽性の気違いに相違ない。第三は、カネカネカネの金田の細君。あの性悪な根性はまったく常識を外れている。純然たる気じるしに決まっている。第四は金田ご本人。金田にお目にかかったことはないが、まずあの細君を恭しくおっ立てて、琴瑟調和しているところを見ると、金田は非凡の人間と見立てて差し支えあるまい。非凡は気違いの異名であるから、同類とみなして構わないだろう。
 「こう数え立ててみると、大抵のものは同類のようである。案外心丈夫になってきた。ことによると社会はみな気違いの寄り合いなのかもしれない。気違いが集合してしのぎを削って掴み合い、いがみ合い、罵り合い、奪い合って、その全体が団体として細胞のように崩れたり持ち上がったりして暮らしていくのを社会というのではないかしらん。・・・・・・・そのなかで多少理屈がわかって分別のある奴はかえって邪魔になる。邪魔になるから瘋癲院に押し込められる。・・・・・すると、瘋癲院に幽閉されているのは普通の人で、院外に暴れているものはかえって気違いである。
 「気違いも孤立している間はどこまでも気違いにされてしまうが、団体となって勢力が出ると健全の人間になってしまうのかもしれない。大きな気違いが金力や威力を濫用して多くの小気違いを使役して、乱暴を働いて、立派な男だと人からいわれている例は少なくない。何が何だか分からなくなった。」