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夏目漱石 『明暗』(角川文庫)1/3

 初めて読んで、ひどく胃を悪くする心理描写に驚いたのは学生時代の終わりごろだったろうか。いま二回目。再読しても、自分の若かったときの場面に出合わせて読めばとてもつらい文章が何十回も出てくるのは同じである。
 上巻 p30
 「自分は上司・吉川と特別の知り合いである」・・・・津田は時々そういう事実を背中にしょってみたくなった。しかも自ら重んずるといった風の彼の平生の態度を少しも崩さずに、この事実を背負って立ちたかった。物をなるべく奥の方に押し隠しながら、その押し隠しているところを、却って人に見せたがるのと同じような心理作用の下に、彼はいま吉川の玄関に立った。そうして彼自身はあくまでも用事のためにわざわざここへ来たものと(自分の行動を)解釈していた。
 p37
 彼はある意味においてこの上司の細君から子供扱いされるのを好いていた。それは子供扱いされるために起こる一種の親しみを自分が握ることができたからである。その親しみは、よく断ち割って見ると、やはり男女の間にしか起こりえない特殊な親しみであった。例えて言えば茶屋女などに突然背中をどやされた刹那に受ける快感に近いものであった。
 同時に彼は吉川の細君などがどうしても子供扱いにすることのできない自己をゆたかに持っていた。彼はその自己をわざと押し隠して細君の前に立つ用意を忘れなかった。かくして彼は心おきなく細君から嬲られる時の軽い感じを前に受けながら、背後は何時でも自分の築いた厚い重い壁に寄りかかっていた。
 いきなりで何だが、プルースト失われた時を求めて』はこのような心理の流れの描写だけで成り立っている小説である。たとえば第一巻『スワン家のほうへ』347ページ。心の底の「押し隠したところを、却って人に見せたがるのと同じよう」にひねり回したやり取りをする十歳を少し超えたばかりの少年と少女………、それをワンセンテンスで書き写し取るプルーストの精密な描写力に、読む人は唸ってしまう。
「開けときなさいよ、暑いの」と友だちが言った。
「だって困るでしょ、見られたら」とヴァントイユ嬢が答える。
しかしヴァントイユ嬢は、友だちのほうは、自分がそう言ったのは相手をそそのかして返事として別の言葉を言わせるためで、その言葉が聞きたい本心は深く包み隠しておいて相手が率先してそれを口にするのを期待していると考えるだろう、と推察した。

 p130
 津田は、妻のお延に、お前のことを疑っていないとはっきり言わなければ、なんだか夫として自分の品格に関わるような気がした。と言って、女から甘く見られるのも、彼にとって少なからざる苦痛であった。二つの我が我を張り合って、彼の心のうちで戦う間、よそ目に見える彼は、比較的冷静であった。
 p152
 お延の従妹・継子は『虞美人草』の純真な糸子さんが成人した姿である。大正初年に近代女性であろうとすることがどういうことかを、夫とそりの合わない女性・お延を通して、漱石がとてもナイーブに書いている。
 「継子さん、妹のあなたは私より純潔です。私が羨ましがるほど純潔です。けれどもあなたの純潔は、あなたの未来の夫に対して、何の役にも立たない武器に過ぎません。私のように手落ちなく仕向けてすら夫・津田は決してこっちの思うとおりに感謝してくれるものではありません。あなたはいまに夫の愛を繋ぐために、その貴い純潔な生地を失わなければならないのです。それだけの犠牲を払って未来の夫のために尽くしてすら、未来の夫はことによるとあなたに辛く当たるかも知れません。・・・あなたは父母の膝下を離れるとともにすぐ天真の姿を傷つけられます」
 p174
 ある日津田は持病の自失が悪化して入院する。お延は看護婦から、「痔の手術の経過は順当でございます、お変わりはございません」という保証の言葉を聞いた。そしてすぐに、どのくらい津田が自分を待ち受けているかを知るために、今日は見舞いに行かなくていいかをたずねてもらった。
 すると津田が何故そんなことを言うのかと、看護婦に聞き返させた。夫の声も顔も分からないお延は、判断に苦しんで電話口で首を傾けた。こんな場合に彼はぜひ来てくれと頼むような男ではなかった。しかし行かないと機嫌を悪くする男であった。それでは行けば歓ぶかというとそうでもなかった。彼はお延に親切のし損をさせておいて、それが女の義務じゃないかといった風に、取り澄ました顔をしないとも限らなかった。
 p179
 お延は今の津田に満足していなかった。しかし未来の自分も、岡本の叔母のように油気が抜けていくだろうとは考えられなかった。もしそれが自分の未来に横たわる必然の運命だとすれば、いつまでも現在のつやを持ち続けていこうとする彼女は、いつか一度悲しいこの打撃を受けなければならなかった。女らしいところがなくなってしまったのに、まだ女としてこの世に生存するのは、真に恐ろしい生存であるとしか若い彼女には見えなかった。
 p185
 お延は洒落でありながら神経質に生まれついた岡本の叔父の気合をよく飲み込んでいた。だからお延は、どこへ嫁に行ってもそれをそのまま夫に応用すれば成功するに違いないと思い込んでいた。津田と一緒になったとき、初めて少し勝手の違うような感じのした彼女は、この生まれて初めての経験を、成程という目つきで眺めた。
 彼女の努力は、新しい夫を叔父のような人間にこなしつけるか、またはすでに出来上がった自分のほうを新しい夫に合うように改造するか、どっちかにしなければならない場合に、よくぶつかり合った。彼女の愛は(生真面目で気難しいが見栄えのする)津田の上にあった。しかし彼女の同情はむしろ叔父型の人間に注がれた。
 敏感な彼女は、叔父のほうでも、彼女に打ち明けたくてしかも打ち明けられない、津田に対する彼女のと同じくらいの秘密を持っているということをよく承知していた。有体に見透かした叔父の腹の中をお延にいわせると、叔父は決して彼女に大切な津田を好いていなかったのである。叔父の津田に対するもっと露骨な批評は叔母の口を通して聞くことが出来た。「あの男は日本中の女がみんな自分に惚れなくっちゃならないような顔付きをしているじゃないか」
 p195あたり
 お延は自分で自分の夫を選んだ当時の事を思い起こさないわけに行かなかった。津田を見いだした彼女はすぐ彼を愛した。彼を愛した彼女はすぐ彼の許に嫁ぎたい希望を叔父に打ち明けた。そうしてその許諾とともにすぐ彼に嫁いだ。
 冒頭から結末に至るまで、彼女はいつでも彼女の主人公であった。しかし、若い二人が漫然と結びついたときに、夫婦らしい関係が果たして両者の間に成立しうるものかという、深い疑問がお延の胸に横たわったのは結婚してすぐのことであった。
 
 お延は親しい岡本の叔母をこう評する女である。 「夫から、先に風呂に入っていてくれと言われれば平気で先に入る人だ。羨ましいが忌まわしい。女らしくない厭なものだが、男のようにさっぱりしてもいる。ああできたらさぞよかろうが、いくら年をとってもああはなりたくない。」・・・・・漱石自身の実生活上の、アタマとカラダのアンビバレントな態度がよく出ている。