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夏目漱石 『明暗』 (角川文庫)3/3

p64-98
 津田と妹のお秀が、カネとお延の態度のことで兄弟喧嘩をする。そのあと、小林という旧知のインテリやくざ男が小遣いせびりかたがた津田を見舞いに来る。その小林から、お秀が吉川夫人を訪ねてカネの工面やお延の態度のことなどを相談したこと、それを聞いた吉川夫人がまもなく病院に来ることを聞かされ、津田があわてる。
 お延と吉川夫人が病院で鉢合わせをすることを好まない津田は、お延に来ないよう手紙を書く。しかし、その手紙が届く直前に、お秀が留守中のお延を訪ねて手紙の内容を盗み見てしまう。そのことを知ったお延がお秀を追いかけ、問い詰めたため、 津田が書いた手紙は別の意味を持ってしまう。その手紙こそ、津田が世間のどんな場面でもそのとき限りを取り繕う人間にすぎないことの動かぬ証拠だったからだ。・・・このあたりの筆の運びは、音を立てて進む時計の秒針を一語ずつ追うようだ。サスペンス小説を書いても漱石は一流だったに違いない。
 またその後の、お延とお秀の女の駆け引きのつばぜり合いも読ませどころである。十行ごとに二人の優劣が入れ替わり、その立場形成となるものが婚家の財力の差であったり、自身の容貌や教養の違いであったり、夫の世渡り術であったり、あるいはそれらの混じりあいであったりする。漱石の女性の心理分析の術は実生活から来たものであるのか、イギリス近世文学の乱読から由来するのか。
 兄弟喧嘩の末、お秀は兄の津田を窮地に立たすべく、津田が最も苦手とする吉川を訪問して先手を打つ。しかしそのお秀は、じつは、「猛烈に愛した経験も、生一本に愛された記憶も持たない、器量望みで貰われた女だった」。しかも読書好きなことが、善悪両方の意味で彼女を妙な人間に仕立てており、ときどき実生活に足場を持たない、理屈のための理屈を言う癖があるにもかかわらず、議論に負けないことで、自分では世間を噛み分けたつもりでいた。それゆえに 「結婚の当時、夫の手で自分の未来に押された愛の判を、普通の証文のようなつもりでいつまでも胸の中へ仕舞いこんでいて、自分の美貌へのお延のお世辞を、その胸の中でまじめに受けるほど無邪気」 なところがあった。・・・このあたりには胸の波立ちを抑えられない美しい女性の読者もいることだろう。
 p249
 妻にも妹にも仲人・吉川夫人にも愛想を尽かされた津田は、一年前お延と結婚するまで付き合っていた、いまは人妻である清子に会いに行く。しかしとことん煮え切らない「脳化人間」の津田は、清子が湯治に来ているという宿まで来ても、逡巡することが自分の第一の仕事であるかのように、首まで湯につかりながら、逡巡に逡巡する。
 逡巡の理屈はこうである。「今のうちならまだどうにでもできる。本当に湯治に来た客になろうとすればなれる。今のお前は自由だ。自由はどこまで行っても幸福なものだ。その代わり、どこまで行っても片付かないものだ、だから物足りないものだ。それでお前はその自由を放り出そうとするのか。でも自由を失ったときには、お前は何物を手に入れることが出来るのか。お前の未来はまだ現前しないのだよ、お前の過去にあった一条の不可思議より、まだ幾倍かの不可思議を持っているかもしれないのだよ。過去の不思議を解くために、自分の思い通りのものを未来に要求して、今の自由を放り出そうとするお前は、馬鹿かな利巧かな」。利巧馬鹿というのだろう。
 p285
 津田の知っている清子はいつでもおっとりしていた。どちらかといえばむしろ緩慢というのが彼女の気質だった。その気質に津田はつねに信をおいていた。その清子が突如として津田の知り合いの関と結婚したのは、身を翻す燕のように早かったかもしれない。しかし、津田にとっては、それはそれ、これはこれであった。悩乱は二つのものを結びつけて矛盾なく考えようとするとき始めて起こるので、離して眺めれば、甲が事実であった如く、乙もやっぱり本当でなければならなかった。
 p297−300
 「脳化人間」津田 「昨夕、廊下で鉢合わせしそうになったとき、貴方は、僕がどうして貴方を待ち伏せしているように思ったのか、僕はそれが伺いたいんです」
 清子 「理由はなんでもないのよ。ただ貴方はそういうことをなさる方よ」
 津田 「待ち伏せをですか」
 清子 「ええ」
 津田 「馬鹿にしちゃいけません」
 清子 「でも私の見た貴方はそういう方なんだから仕方ないわ。嘘でも偽りでもないんですもの。以前からそうだったわ」
 津田 「昨夕あんなに驚いた貴方が、今朝はまたどうしてそんなに平気でいられるんでしょう」
 清子 「何故そんなことをお聞きになるの」
 津田 「僕にゃその心理作用が解らないから伺うんです」
 清子 「心理作用なんてむずかしいものは私にも解らないわ。ただ昨夕はああで、今朝はこうなの。それだけよ」
 p310 
 佐古純一郎の「解説」によれば中村草田男は「清子はアガペの具現そのものであり、おそらくドストエフスキーの小説におけるソーニャの真の精神的姉妹であると言えよう。まさに清子はソーニャがラスコーリニコフを救済したように津田の救済を果たすことになっただろう」と言ったという。『明暗』が最後まで書かれていれば、という意味だろう。
 果たしてそうだろうか。清子はソーニャかもしれない。しかしソーニャがラスコーリニコフを救えたのは、ラスコーリニコフロシア正教の国の人だったからである。『明暗』が書かれた一九一六年の日本に、漱石が、津田のように「富を誇りとしながら煮え切らないことを行動規準とする」近代人の救済手段を仮構したとは到底思えない。このまま清子に呆れられ、お延に捨てられ、吉川夫人にも切り捨てられて野たれ死ぬ津田を、漱石はそのまま無残に放置したのではなかろうか。それにしても『明暗』の「明」とは何で「暗」とは何なのだろうか。